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うまい棒をどうぞ~番外編(第二弾)~ 

 パソコンにある古い写真を削除していくため、定期的に載せていきたいと思います。

 今回は、うまい棒(就活編)です。

 大昔、「うまい棒をどうぞ」という記事で書かせていただいたことがありましたが(詳細は★うまい棒をどうぞ★を『検索』で)、その続編です。

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 配布されていたのは去年の5月ごろでしょうか;

 確か、サラダ味だったと思います。もしくは、食べずにどこかへ消えてしまったのかもしれません。

 いずれにせよ、チラシのみ配るよかは効果的です。しかも、うまい棒自体が企業の宣伝をしているのは余り見かけたことがありません(単にそこら辺で売ってるうまい棒をくっ付けて配っているようなのは結構頻繁に見かけることはありますが)。

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 でも、もらう側はうまい棒が付いてるとちょっと恥ずかしいですよね。ある一定の上流志向を持っている人ならまず受け取ろうとは思わないと思います(笑)。

 斯く言う私も「ハラが減っていた」という理由より「うまい棒の記事を書きたかったから」という理由で戴いたわけですが(上流志向はない)、書くのがこの時期になってしまってはな・・・。

 【★うまい棒をどうぞ★】
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西へ(3日目)【2】 

 ラストです。

 他にも色々と回ったのですが、最後の2枚は『大覚寺』でのものです。

 ・・・と言っても、到着時間が遅すぎたため、寺の中を参観することはできませんでした。

 なので、ちとお庭の方を・・・

 ここでの名物は『名古曾の滝』だそうです。

 「なこその滝」・・・か。どこかで聞いたことがあるな・・・

 滝の音は 絶えて久しく なりぬれろ・・・

 ありゃ?

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 当日は日が傾いていたこともあり、私のほかはドッグランをしている人一組以外、誰もおりませんでした。

 旧跡とはここまで寂しいものなのか・・・

 当日はかなりの強風が吹き荒れていました。

 上の「なこその滝」へと向かう道の途中、モミジの葉に目潰しを食らわされ、痛い思いをしました;

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 遂に「名古曾の滝」到着です。

 「本当にここが名所か?」を思わせるほどに人気がありません。

 猫一匹が名古曾の滝の脇から駆けていったぐらいです。

 さて、ここで再度「百人一首」のご登場。

 『滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ』(大納言公任)

 滝の音は

 滝の流れる音は

 絶えて久しく なりぬれど

 絶えてから久しく経っちゃったけど

 名こそ流れて

 (「名」・・・この場ではこの滝に纏わる名声のこと)名声は今日まで流れてきて

 なほ聞こえけれ

 やっぱり聞こえているんだなぁ(しみじみ)


 要するに、実際の滝の水は途絶えてしまったけど、滝に関する名声自体は今でも“流れて”いるんだよ、ということです。

 正岡子規とかがいたら「全然、写実的でなくナンセンスだ」と痛烈に批判されそうなところですが(汗;)、いずれにせよ「言葉遊び」が混じっているわけです。

 つまり、現代でいれば「洒落」のようなものですが、私自身は今になってはあまり面白いとは感じません(初めて聞いたときは「うまいな~」と思ったりもしましたが)。何故かというと、やはり、その滝自体は、もはやもう存在していないからです。
 
 実際に公任が生きていた時代であれば、それなりに「名古曾の滝」に関する名声も高く、“趣深い”と感じる要因もあったのでしょう。しかし、現代にあっては滝の存在はおろか、「名古曾の滝」に関する名声も殆ど(百人一首等和歌に親しんでいる人以外は)薄れきってしまっています。

 和歌が真に評価し得る点といえば、やはり「現在でも如何に共感できるか」、すなわち、「大昔であっても今であってもどれだけその根となる『実感』が変わらずあることを確認することができるか」、が大きなポイントを占めているだろうと私自身は思います。

 「懐古趣味の歌」であれば「懐古趣味の歌」であって十分味わい深いものとなるのですが、奈何せんこの和歌が歌われた時代と現代とでは余りに「懐古」するだけの地盤が違い過ぎてしまっています。

 今や“名声すらなくなった”滝の“跡”を見るのは何とも悲しいものです(往時と比べ、現在の「名古曾の滝」を観に来た人の「驚きや感嘆の様子の違い」を思うと)。

 ちなみに、「名古曾の滝」の「名古曾」の由来は、この歌の「名こそ」から始まったとされるようです。公任が歌う前から「名古曾の滝」があって公任が「名こそ」と掛けたのではなく、この歌の「名こそ」から滝の名称の「名古曾」へと派生していったわけです。

 が、しかし、それも和歌が流行っていた時代のこと・・・・・・


 それにしても「嵯峨」一箇所を訪ねただけで百人一首に詠まれた名所、2箇所を観て回れたのは何とも得した気分です。。

 
 何だかんだでその後、天竜寺に入れないことを確認しつつ、渡月橋の袂でボーっとしたり、ゴマ餡や栗餡が入った八つ橋を土産に買ったりしてました(ゴマ餡は意外と好評)。

 そして、市バスで京都駅まで戻り、夜行バス発車の時間まで駅構内を徘徊したり、三省堂で本買ったり、構外の喫茶店コロラドに入ったりしてました。

 京都駅を歩き回って感じた事は、食う場所が少ないということですね。少なくとも私のような激貧旅行をしている者にとっては、理想額より一桁違いました。

 
 ・・・それと、後々になって気付いたのですが、今回の3日間の旅行で何気に「京都」「大阪」「神戸」の三都を歩き回っていたみたいです。

 昨日、今日、明日~♪ 変わりゆく私~♪ (笑
 
 少なくとも関東のどの都市にもない歴史に裏づけされた三都の活気・力強さを感じました。。

 【西へ 完】

西へ(3日目)【1】 

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 関西旅行の最終日。

 特に何もすることは決めていなかったので、念願の嵯峨・嵐山旅行に出かけることにしました。

 今回も「行き」で難波~淀屋橋まで歩き、更に京都駅~四条大宮まで歩いたので、着いた頃にはお昼を回っておりました。

 そんなわけで厳選された2箇所を写真に収めてきました。

 まずは、小倉山の二尊院さんです。

 残念ながら境内は有料だったので入場はできなかった(!)のですが、小倉山の雰囲気だけでも摑めれば、と門をバックに写真を撮ってみました。(ん~、でもあまり写ってませんね;)

 この小倉山、どこかで聞いたことがあるな~と思ってたら、

 「小倉」百人一首の「小倉」だそうです。

 1235年の5月27日、小倉山にあった別荘の屏風に「『古来の人の歌各一首』を呼んで欲しい」との要請を、宇都宮頼綱から藤原定家に要請したのが始まりとされます(百人一首の撰者、藤原定家の『明月記』による)。

 そこで、定家は当時のセレブのために、「百人」を「一首」ずつ撰歌していったわけですね(厳密には最後の方の歌に若干の相違があるみたいですが、まあ置いときましょう)。

 そして、それと関連して、定家が小倉山の美しさを讃えた歌が欲しかったからかどうか、百人一首に選ばれた歌の中に以下のような歌も含まれています。

 『小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ』(貞信公)

 小倉山 峰のもみぢ葉

 小倉山の峰(・・・すなわち、山頂ですね)にあるもみじの葉よ

 心あらば

 (「心」とは風流を解する心、すなわち)紅葉が人間と同じような風流を解する心を持っているならば

 今ひとたびの

 今一度

 みゆき待たなむ

 (「みゆき」とは人の名前ではなくて「御幸」と書き、天皇の大掛かりなおさんぽのことを指す)天皇のお散歩を待ってくれ


 残念ながら、風流を解さない私は山頂にあるもみじの葉を写真に収めて来なかった(どれが「峰」だか分からず、また紅葉らしい木はなかったため)のですが、いずれにせよここが1000年以上も前から愛され続けた場所である、という点は変わりません。当日は小倉山が霧がかっていたこともあり、より幽玄なカンジの雰囲気でした。

 それにしても「京都旅行」で同時に「百人一首」もお勉強ができるとは、正に“一石二鳥”ですね。。

西へ(2日目)【17】 

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 精根尽きはてて、途中から遂に嵐電(京福電気鉄道)を使ってしまいました。

 本当は嵯峨辺りまで行きたかったんですが、ちょっと無謀でしたね。。

 またの機会、ということに。。。

 「嵐電」のイメージは

 ①運賃が一律二〇〇円だった。

 ②午後五時半を過ぎると周りが暗くて何も見えなかった。

 ③太秦広隆寺駅への到着メロディーが『水戸黄門』だった。

 ④その太秦広隆寺駅と最初の一,二駅以外は熟睡していて記憶にない。

 ⑤最後になってそれまでずっとお伴していた傘を置き忘れてきた。

 といったところでしょうか。。

 その後、石部さんは終点・四条大宮駅からオシャレな四条通を走って三条京阪へと消えて行ったとさ。。(以下、京阪終点・淀屋橋から南海始点・難波まで走ったのは同じ)

西へ(2日目)【16】 

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 はい。一気に飛びました笑
 
 北野天満宮です。

 あれだけ「受験の神様」として有名な場所ですが、実は今まで一度も訪ねたことがありません。

 しかも、よりによって受験もクソも何もない状況です。

 お賽銭も5円玉がなかったので「10円」で済ませました。

 二礼二拍手一礼も一礼だけしかしてません。

 そしてそんな流れの中、お願いしたことは・・・

 充実した人生を送れますように。。

 さて、学問の神様はどこまでこの願を聞き入れてくれるでしょうか?