fc2ブログ




うぷ 

 余りにも朝早く家を出てしまったことの反動だろうか、今日は久しぶりにこんな時間に帰ってきてしまった。
 
 と言うのも、前の反省も活かしきれずにまたもコーヒーを飲み過ぎてしまった為に、丸でヒューズがとんでしまった様な状態になってしまったのである。
 今日は、お茶と言う必須アイテムを欠いてしまった。。。
 そういえば、朝からメシも食わずにコーヒーばかり飲んで、目を覚まそうとしていたからな・・・。
 
 まあ、これを機に朝型に戻れれば、これ以上何も言うことはないのだが。
スポンサーサイト




げ。 

 しまった!
 
 ・・・思い返してみれば、明日(いえ今日だ)調子に乗って予備校の講座を朝7時から申し込んでたんだ。。。然も水道橋だからその1時間前に出とかにゃならん。。。

 ・・・と言うわけで、毎度ながら今日はここまで。
 明日から学校かぁ。
 でも、明日学校行かないと新しい定期発行してもらえないからな・・・
 
 単位も落としちゃったし、ウンザリ。。。

第十一話 ジャガーの眼は赤い 

評価:C-

 正直,今回の作品を見て「もう、見るのつまらなくなってきたな」と朧げながらも感じてしまった。
 テーマそのものは“子の心、親知らず”といったなかなか興味深いものだったが、そのストーリー展開自体はどうもしっくりこない。
 ―――というのも,やはり何故、子を誘拐するのにあんな迂遠な方法を採らなければならなかったのか,突き詰めれば一体何故あの男はホログラフィーを、大人になら未だしも子供にも見せなければならなかったのか。
 もっと直接的な手段を取っても良かったのではないか。そのことを欺く為に“科学の力”を用いるというのならば納得はいくのだが。
 
 それよりも気になったことは、あれだけ明らかにウルトラセブンがいたのにも拘わらず、誰もそれについて「セブンだ!」の一言も発していないことである。それどころか「サンドイッチマン」の一言で片付けられてしまっている。
 実に侘しい・・・。如何見てもアレが「サンドイッチマン」には思えないのだが・・・。

 も一つ気になった点は、子供の帽子が継ぎ接ぎの巨人帽だったこと(まあ当時はV9時代の真っ只中でしたからね・・・),そして如何してもジャガーを虎と見立てて“虎と兎”を連想せざるを得なかった事である。 偶然か・・・!?
 そういや、全然ジャガー関係なかったな。も少し話題に上ってきてくれるものと期待してたのに・・・残念!!
 多分、子供が言っていた「ジャガーの眼」と言うのは、レーザーだったと思うのですが、如何しても最後に「兎の眼だ!!」と言っていたのが如何してだったのか、気になって仕方がありません。
 最後の野村の「一本とられた」といった表情には、普段,大人が子供の話など真面目に聞く耳を持たないといった事態に対しての意表を突くといった意味では、なかなか面白かったなと思うのですが、奈何せん内容が等閑っぽかったので、これを挽回するまでの評価は・・・
 
 エンディングはエンディングで「使いまわし」っぽかったですが、最後に一寸アレンジを加えていたので、あれはあれで一貫していて私なりには結構好きです。
 (2006年03月30日01時45分39秒記す)

 そういえば、全く関係ないのですが、「狼少年」の話に附随して、どうして「嘘吐きは泥棒の始まり」って言うんでしょうかねぇ?
 嘘を吐く人はそれだけ心情が荒ぶ状況にあるから、泥棒にでもなりやすいということなのでしょうか?
 「嘘吐きは政治家の始まり」なら説得力も些かあるのでしょうが。
 (2006年04月01日追記)
[2006/03/30 01:45] 怪奇大作戦 | TB(0) | CM(0)

たったこれだけか・・・ 

 
 さて・・・と。
 
 4,5時間位ぶっ続けで問題解いたし、一寸休憩でも入れるか―――
 今日はどれくらい解いたのかな???今日はなかなか理解できた“積もり”だし、充実してたかな。。。
 
 ・・・な、何!!?
 印を付けた問題を幾ら目を凝らして見ても、15問も解いていない・・・。然も択一形式なのに・・・。更には10問位は一度は解いている筈・・・。
 確かに、分からない箇所などは逐一本を開いたり、論文対策等もしていたとは言え、これ程までに進んでないとは。
 
 ―――ざっと,1時間平均「3問」ではないか!!!
 
 要するに、今一番心配な事は、余りにも時間に余裕が生まれてしまった為に、果たしてキチンと目標付けをして進めることができているのか?ということである。
 勉強した時間云々は最早問題ではない。寧ろ,その時間を如何に中身ある有効なモノとできたかが問題なのである。
 1時間に何問解けたかでも良い。兎に角、もっと効率良く問題を解かなくては。本当に集中できている時間そのものが少ないという事も影響しているのだろうが、絶対的な勉強時間,否勉強量が足りてないのだろう。
 少なくとも、もっと時計と睨めっこしていけるように・・・

 ・・・といっても、さっぱり解けない。と言うより見ても分からないんだよな、これが"〆(-_-;*) 。。。
 

またまた深夜か・・・ 

 気付いたら、またもや丑三つ時を回っている・・・
 当ブログのコメントに精を入れていた為であるが、最近このブログが時間を掛けてしまう元凶の様にも思えてきた・・・

 あれ・・・?
 前にもこんな内容の記事を書いた様な気がするぞ。
 ま、きっとデジャビュだろ・・・。
 (以上)

「有」言実行? 

 最近、屡々巷間で「有言実行」なる言葉を耳にするようになった。
 
 あれ?そういえば、嘗ては「無言実行」でなかったかな。
 
 苟も「有言実行」の言葉通り「言った事を実行する」という意味だけならば、余りにも当たり前過ぎる。
 確かにアメリカナイズされた現代の日本社会に於いては、「自己の意思表明をした上で、それを実行に移す」ということはある種の美風ともなり得ているところではあるだろう。無論、何もアクションを起こさないよりは、言ってでも責任を感じたほうが良いだろうし、実際にそれを行動に移す事はなかなか難しいことであるのは事実だから、それだけでも十分に立派な行いである事は言を俟たない。
 しかし、その反面、それは動もすると自分の発言に責任を持つことができないという事の裏返しであることも言い得るのではないだろうか。若し、その言葉の意味するところが、そういった軽はずみな言動が増えてきてしまっているという現状を示しているのならば、些か問題があるだろう。
 他にも「何かを言わなければ相手には伝わらない」といった風潮が相俟ってこの様な言葉が生み出された背景があるのかも知れないが、やはり「言って実行に移す」という言わば当たり前の段階から、「言わずとも自ずから実行に移す」という意味での「無言実行」に移ろわせてこそ始めて「有言実行」の元となったであろうこの言葉(「無」言実行)の重みが増してくるのではないのだろうか―――
 
 とは云々偉そうに言いつつも、広辞苑にも「有言実行」「無言実行」のどちらの語義も載ってありませんでしたし、厳密な意味ではどちらが先に誕生した言葉であるのかは把握しかねるところではありますが。。。

 【追記】
 今日、本屋で立ち読みしてたのですが、どうやら「無言実行」ではなく「不言実行」であることが判明しました。なるほど、確かに「不言実行」なら広辞苑にも載っています。
 
 語義:あれこれを言わず、黙って(善いと信ずるところを)実行すること。(広辞苑第五版引用)
 
 ・・・ということは、益々「有言実行」が誤用であることが明らかとなったわけです。勿論、“言葉”というもの自体、時代を経るごとに徐々に移ろいゆくものです。まただからこそ、その醍醐味があります。寧ろ、現代型日本社会を表徴するという意味合いにおいては、良く反映されているのではないでしょうか。
 「言うは易く行うは難し」―――自己を鼓舞させる為にも、先ずはその言葉に重きをおくのも一つの手段でしょう。
 にしても、またしても自分の語彙力の無さを改めて露呈してしまいましたね。まあこれで、余計に印象付けられればそれに越した事はないのですが。(^^;
 (2006年04月15日22時37分追記)

また深夜か・・・ 

 気付いたら、また丑三つ時を回っている・・・
 当ブログのコメントに精を入れていた為であるが、最近このブログが時間を掛けてしまう元凶の様にも思えてきた・・・
 (以上)

情けない 

 よく見るまでもなく、前回の文章読んでみたら明らかに論理破綻してますね。
 
 まぁ、別にブログですし、「気軽に書く」という事をモットーにしているので全然気にはしない積もりではありますが・・・

 さて,明日から何時の間にやら週初めの月曜日,そして更にその先には学校開始という現実が待ち構えています。
 結局、この春休みで得られたものは何だったのか―――
 本当に週活をせずに試験一本に賭けることが正解だったのか―――
 この春休みを過ごしてみて、幾ら学校を卒業してみようとも、この調子だと同じ轍を踏んでしまいそうだ。。。

 何かしら今春の善後策を講ずる為にも、最低限生活リズムは変えていくようにしていかにゃならんだろう。最も“簡単”で“分かりやすい”ものほど、その実践が難しいという事が身に沁みる―――

第十話 死を呼ぶ電波 

評価:C+

 とある人物が車が降りた。
 ん?何処かで見たことがるような―――
 そうだ、アマギ隊員こと古谷敏氏だ!
 然し、家についてプロレスを見ようとした瞬間、光線銃の様なモノでやられる。
 
 その登場時間、僅か46秒。
 セブンファンの方々、ご愁傷様でした―――

 そして、早速その原因を探るべく調査が始められる。何ともレーザーに因るものだとか・・・
 
 ん?―――
 レーザー?若しかして、白い顔の男か?とも期待してみたりしたが、特にそういう展開ではなさそうだ。
 
 何だかんだで電波が遠隔操作されている事が明らかとなるが、
 正直なところ・・・
 冗長である。
 確かに犯人の拠点を突きとめるまでは、時間がかなり割かれていてそれなりにハラハラさせるものであったと言い得るかも知れない。だが、行く着くところは矢張り“お決まり”といった感じで、犯行は既のところで阻止されてしまうし,それに至るまでも如何しても時間が長く経っている様に思えて何処か不自然さも残る。
 
 我思う―――
 恐らく今回は、次回の大作に向けての中休みだったのだろう、と。
 
 何かエンディングも、その道には精通しているであろう円谷プロが敢えて出すものではなかったろうし、時間稼ぎをしている様にも思えなかったりとかしないわけでもなかったり・・・。
 
 まあ、それでもラストは考えさせるところは残そうとしたのか,それなりに科学の二面性を主張している様にも思えたし、ムラマツキャップ・・・いや、町田警部の「法の裁きでムラキを断罪せんことにはな」とはの言葉には、「うんうん」と頷いてみたりとか・・・。
 結局、「仇討」や「科学」の行き過ぎに対する「法」の確立の必要性が説かれている様な気がしました。そういう意味では、一応「+」にはできるのかな、と。

 にしても,まだ小山内の研究室に自殺用の電流器が置かれていた事は、仇討を果たした後に自らも自殺しようとしていたのならば解せないわけでもないが、仇討用の計画ノートのタイトルに『復讐日記』と書くのは如何なものかと・・・
 
 個人的にはエンディングで『復讐日記』の内容が映し出されていれば尚一層評価は高かったかな,と。
 (2006年03月26日22時19分08秒記す)
[2006/03/26 22:19] 怪奇大作戦 | TB(0) | CM(0)

B・I・N・G・O 

 最近、明らかに英語を喋っている小学生かそれ以下の子が増えてきているような気がしますね。。。
 如何見ても親子共々日本人なのに・・・

 まあ程々に日本語も英語も共倒れにならぬよう・・・
 幾ら英語を習得したところで日本式の思考形式を変えなければ、米人みたいにはなりませんけどね・・・
 
 ―――きっと、その時には「日本」という人や、言語を始めとする文化も音を立てて瓦解し、多文化に支配されていくのでしょうな・・・
 
 尤も、今までもそのような歴史を辿ってきましたし、何やかやと言われつつもしっかりと根を張ってきましたから、決して悲観する事もなかろうと思いますが。
 結局、何が言いたかったのか・・・
 (以上)

こうなんだい! 

 今日も何時もの如く(?)、10時過ぎに目を覚ます。
 気分は最悪・・・
 
 今日は夜から園遊会だし、昼間も一寸贅沢をして親子丼でも食いに行くか。

 でも、交通費は勿体無いから人形町までは歩きでね。
 しかし、たま秀はよく並んでますね。。。
 40分以上は並びましたでしょうか。

 早速、親子丼を食してみる。。。
 親子丼の蓋を開けたときの見た目の良さ,一口目を口にした時こそ至福の時である―――
 
 中では単なる親子丼ではないかと仰られる方もおりますが、その美味さ故、最後まで飽きも来る事もなく,軽く平らげることができました。

 そして帰りも勿論歩きで小伝馬町→神田駅へと歩いて横浜プリンスホテルがある磯子駅まで向かう。

 到着後、暫し辺りにコーヒーショップ等がないかと徘徊してみるも、なかなか見当たらない。。。
 やっとのことで見つけたキーコーヒーも午後4時迄だと言う。。。
 「よ,四時って早過ぎでしょ!」
 取り敢えず駅の裏側にでも何かあろうと、も一度駅へと戻ってみる。
 
 ―――あった。改札を出て直ぐの所にベックスコーヒーがあるではありませんか!!
 
 ホッとして、時間が来るまで暫く休憩。。。
 一応、確認の為にとメールで遣り取りをする。

 ―――何!?横浜プリンスでなく、横浜ロイヤルパークホテルだと!!


 一体、何処で記憶が入れ替わったのだろうか。
 急いでロイヤルパークホテルがある桜木町まで逆流せねばならん!
 
 改札を通って、浮島式ホームに降り立つ。
 上りも下りも同じホームだから気をつけにゃならんな・・・
 逆側の電車が発車したのを見送りつつ、こちら側の電車に乗り込む。

 知り過ぎた?
 ―――何だ、新杉田か・・・行きにこんな駅あったっけかな?
 まいっか!
 
 洋光台・・・明らかに何かおかしい。。。
 ふと振り返って乗換案内図を見てみて仰天する。
 何と行きたい方向と逆行しているではないか―――
 
 降りようかと考える間も無く、ドアが閉まる。。。
 
 やっぱり焦っていると乗り間違えもするものなのだろうか。
 そして、近くにいた子がこう叫ぶ。
 「洋光台の次はコウナンダイ?こうなんだい!
 明らかに「う」と「な」の間に一拍置いている。オレに対する皮肉か・・・

 それから更に引き返してみたが、何とか間に合ったみたいだ。。。
 ランドマークタワーもかなりの難所だったが・・・

 
 ―――これで今回得た教訓
 今更ではあるが、
 焦って良いことは何もないということである。
 でも「分かっちゃいるけど止められない♪」んだな、これが。
 (以上) 

第九話 散歩する首 

評価:A-

 “不老不死”“不死身”―――――
 
 誰もが必ず抱き、また過去幾重にも亙って追い続けられて来た人類共通と言っても良い夢・・・

 今回は、「人類が永遠に生きる」というある種の夢を実現するために、殺人を犯してしまうという、言わば主客顛倒も甚だしい罪を犯してしまうという話です。
 
 研究者ミネムラは、嘗て“ジキタリス”の研究をし(?)軈て対立を深めるに至った「大崎を土下座させる」という狂気とも思えるその執念を実現させるため、そしてその研究人体を入手するため「散歩する首」を拵え、敢えて交通事故を引き起こしていく。とにかく人の生命,身体の安全,健康を目標として研究している筈の者が、その目標(それは専ら私怨を晴らすという目的での)を見誤る方に向かって、盲目的に自らの研究心を駆り立てていく・・・。勿論,この事は特に研究者に限らず、自らの殻に籠もりがちな状況に置かれれば、誰でもなりかねないものではあるのかも知れませんが。。。

 「あの婆さん、鼠を殺してしまったよ…」
 と鼠一匹殺すのにもおどおどしていた男が、リツ子の恋人を媒介させて間接的に事故を起こすことによって、自分の仕業ではないという事を暗示させる為に態々生首を作り出してしまったのでしょうか―――

 
 ・・・にしても、リツ子が起き上がるシーンは、ちとビビりました
 死後10時間経った後って、体が硬直した状態になっているんですね。
 始めは不自然な起き上がり方だなと思ったりもしましたが、これをも考慮に入れて見てみるなら、確かに良くリアルに描かれているんだなと思います。所謂“死”が遠ざかった現代社会に於ける日常からしてみれば、このような表現にも興味を持たされるところではあります。
 あれ、待てよ。よく考えたらニーナも昼間に棺桶の中に入っていて夜に復活したんだから、体が硬直している筈だよな・・・
 でも・・・
 まいっか、吸血鬼の末裔だったんだし
 それに脚本もバラバラに製作されているでしょうしね。
 ところであの時、リツ子は何を呟いていたんでしょうかね。。。
 
 後は、人間、恐怖を感じると指を差す癖があるんでしょうか。
 ことリツ子に関しては明らかに計って、業務上過失致死を犯した罪人を指差す為に起き上がったとしか思えませんが。

 全体的にストーリー構成自体は決して悪くは無かったのですが、奈何せん途中が手抜きっぽく、特に意味は無かった様なので(勿論、洞察力不足である可能性は重々に承知しておりますが)評価は「A-」とさせていただきます。

 然し、当時は交通事故が非常に多かったんですね。
 さり気無く映した交番の掲示板で死者が8人とありましたから、日常的にこれ位の犠牲者が発生していたのでしょうか。
 今回は科学者の狂気がテーマになっていたと同時に、交通戦争化する日常で影を潜める裏側の側面をも映し出していた作品でした。
 
 
 (2006年03月24日02時35分52秒記す)
  
[2006/03/24 02:35] 怪奇大作戦 | TB(0) | CM(0)

欠席します 

 いや~、考えれば考えるほど
 マズイ

 兎に角、一念発起してこれからの進路を立てていかねばならぬ。。。
 
 ―――てなわけで、これから予告付きでブログを書かない日も生まれてこようが、それもこれも将来の為とあっては背に腹は代えられぬ。
 ブログを書く本人が凋落してしまったとあっては、元も子もないだろうし。

 書かない,或いは手抜きが続く(今までがそうでなかったかと問われれば怪しいものではありますが)日々がこれからもありましょうが、何卒ご了承下さいませ(態々,該ブログを読んで下さった皆様方へ)。m(_ _)m

早退します 

 一応、毎回出席(?)とは雖も、昨日書きました通り、諸事情から今回は早退させてもらいます。

 最後に一言。
 昨日、タレの掛かってない穴子を「さくら水産」で食したのですが、食感を除けばサーモンフレークの塩味が無いのと同じような味でしたね。
 これはこれで,なかなかイケなくはないのですが、やはり改めてタレ付きのモノを食してみると味は格段に上がります。
 あの魚の良い意味での臭味とタレの強さが相俟ってこその穴子ですね。
 
 ―――ところで拙者,貧乏舌の所為なのか穴子と鰻の違いがよく分からん…。
 確かに鰻の方が臭味は少ないかなと思うのですが、やはりタレの方が主なのかな、と思ってみたり…。

生活リズムが… 

 マズイ・・・
 
 何やかやしていたら、草木も眠るどころではない時間帯になってしまった。。。
 こんなことじゃ~、後先思いやられる・・・
 然も、来年「度」も未だ学校あるんだよな・・・

 ―――ってか、書いてる場合じゃないよな...

航時機 

 昨日、適正検査の過去問でタイムマシンについて書かれていたので、それについての考察を一寸。(尚、この点に関しては全然調査、見聞きした事がなかったので、以下完全なる独断と偏見,無知からの視点であることをご了承下さい)

 ―――そっか~。
 その題材の中ではタイムマシンで幼児期に戻って、自分を殺害したら、現在の自分はあり得ない。よって、仮に開発されたとしても、それは必ず失敗に終わっている筈なのだ、と。
 確かに言われてみれば、無限に幾重にも重ね交錯し合っている因果の連鎖の中では殺さないまでも、ほんの些細な狂いであっても、現在の世界,そして自分はないと言っても過言ではないことでしょう。
 嘗て、たった一本の電車を逃したことから間に合った場合とそうでない場合とで、天国と地獄の様な違いを同時並行で描くといった映画がありましたが、全ての因果(それも単一なものに止まらず、複数が交錯するもの)の流れを考慮に入れるならば、決してその様な違いが生じ得ないという事は否定できないように思われます。
 考えてみれば「風が吹けば桶屋が儲かる」ではありませんが、朝出掛ける時に朝食を抜いてしまって力が入らず仕事が捗らなかったとか、それがテストであればその合否によって全く違う人生を歩むことになる場合もあるでしょうし、それが就活とかの場合であれば尚更でしょう。
 よく陳腐な作品の中には、ご先祖様に会いに行き自分がその子孫である旨伝え、敬うという場面が描かれていることがありますが、その一時があった事により、どれだけそのズレた時間の因果の中で次の「自分」が生まれてくる可能性があるでしょうか。―――以為らく、皆無に等しいでしょう。
 
 とするならば、一体如何理論構成すれば良いのでしょうか?
 一説には決して地上に降り立つ事はできずに只管に上空から見下ろすしかないだとか、その時分には透明人間になる技術も発達しているであろうから気付かれない形で今でも身近に潜みこんでいるのだとか(抑々完璧に自分の体を透明にしてしまった場合、網膜中の錐体細胞やら桿体細胞やらをも見えなくしてしまうわけですから、当然に自分からも何も見えなくなってしまい、このこと自体が「あり得ない」のですが)言われたりもしますが、果たして其処までして過去に行く意義もあるのでしょうかねぇ…。と思ったりもしてみます。
 
 ならば、その時間軸も一つだけではなく、殺害したら殺害したでその時点からまた新たな歴史,世界がスタートするのだという考え方も成り立ち得るでしょう。然し、この考え方に拠った場合でも、果たして物理的に複数の世界が成立し得るのかという点については甚だ疑問の残るところではありますし,その時点から未来には進む事はできるでしょうが、その時点に至るまでの―――言わば、その殺害した時点に於ける「殺害時から殺害時まで」の過去の自分の経過はどうなるのかといった点では、単にそれを回避するだけの説明に過ぎず、その根本は結局解決できず仕舞いであるといったことが指摘できます。それ以前に、物理を考える上での大原則である「無から有は生まれない」ではありませんが、訪ねられる過去からすれば急に物質が、突然何もないところから発生するわけですから、その前までに維持されていた原子なら原子レベルでの非常に緊密で微妙な均衡・バランスを保っていた秩序が崩れるかもしれないという説明をも克服せねばならないわけです。
 
 ここで私が思う事には、やはり前提としてもSFチックな話が連ねられたことからも関連させられる様に、飽くまでもタイムトラベルといった話も、元々が人間が作り出した「空想」の中だけでの話に過ぎず、「時間は決して操る事ができない」といった暗黙の大前提を欠いた上での議論ではなかったろうかという点です。これに関しては、理論上からも十二分に説明が可能なんだといったことも指摘され得るところではあるでしょうが、裏を返せばやはり理論は理論に過ぎないのであって、其処には決して理論・道徳的観点云々ではなく、現実化できない絶対的な“壁”なるものが存在するのだろうと思います。旧来から語り継がれてきた人類の「夢」の中では最も科学的に説明が可能な様にも思われる内容ではありますが、却ってそのことが人間の「夢見物語」に過ぎないことに気付き難い要因の一つと化していたのではないでしょうか。無論、タイムマシンが今でもSFのカテゴリーに分類されていることは昔からも違わぬ事実ではありますが。
 
―――あ~あ、また夢を限っちまった・・・
 (以上)

異常気象? 

 いや~、今日(昨日?)も風が強かったですね。。。
 然も曇っていたので尚更冷たかったんだな、これが。
 
 それにしても、ここ3日間程強風の吹く日々が続いて,暖かくなってきているとはいうものの、何か“春”が来ているという実感がしません。
 また,余りに風が強いもんですから、風が吹く度に家の中でもミシミシいっているのがよく分かります。

 こういう場合の常套句ですが、やはり“異常気象”が影響しているのでしょうかねぇ・・・

 でも、こう“異常気象”“異常気象”と言っている割には、その確たる原因については余り説明されたり言及されていることは少ないんですよね・・・
 結局、何でもかんでも得体の知れない“異常気象”という一言で済まされてしまい、上手く丸め込まされた感じです。
 第一、気象のデータといっても、戦後漸く整備され始めたところでしょうし、それ以前にも歴史的に冷害等で飢饉が多発していた実情に鑑みるならば、必ずしも近年だけがその様な言葉を使う必要性もないのでしょう。過去,数十年のデータだけから見れば多少のズレはあるモンなのでは?と勝手に思ってみたりもしている今日この頃です。
 ―――でも、無知ほど怖いものはありませんね。

題名なし 

 つい話し込んでしまって、危うく書くのを忘れそうになった。。。

    と言っても、昨日の事なんて忘れてしまったので、これから“何か”を探しにブラつきに行こうと思ふ。
 
 本来ならば,日々の変化を刻々と頭の中に焼き付けて、注意深く観察していく位の気構えは必要なのであろうが   
 
 後は『徒然なる日記』と『怪奇大作戦』が、訪れた時に二つ同時に表示されるのは漸ミニクイので,一寸構成をアレンジしてみた。

第八話 光る通り魔 

 評価:A

 いえ、一寸最近余りにも本シリーズの内容が淡白になり過ぎている様な感じがして、正直書くのも面倒臭くなってきたな…といった感じです。尤も、斯く思うのもこの第七~九話期の出来が非常に良かっただけに、その反動が今になって起こっているというだけの事なのですが。
 まぁ、こんな事言ったところで、放送されたのは凡そ40年前ですから、今更変え様がないということ位分かっているんですがね…。

 (以下本文)
 とある女性(林ヨウコ)に、その上司が何かを確認しようとそわそわしながら彼女の家まで送って行き、そこで帰ろうとした矢先・・・

 ピカッと・・・
 ねぇ・・・ 
 今回は至極「普通」だ。
 
 この奇怪な事件の原因を探るべく、早速聞き込みを開始すると,当女性の通っている北都住宅公団で3ヶ月前から山本という男が行方不明になっていたことが明らかとなる。
 
 ん・・・
 ところで“フィアンセ”って何だ?

 まぁ、良いか。。。この先、自分とも縁が無さそうな単語だし・・・

 
 しかし、この山本という男、

 勤勉,実直,真面目で一本槍
 その上“馬鹿”か“クソ”が付く・・・か。

 う~む、ナルホド。。。
 彼も石部金吉タイプだったというわけですね。。。
 それは、共感を覚えるな~(笑)
 
 その後、牧や町田らがその山本と親しくしていたという林や、その恋人(名前忘れた)らを詰問してみると,山本は自殺したとの事実を知らされる・・・

 何やかやで更にゴタゴタがあってから、原因は亜硫酸ガスであることが判明し、例の山本という男の出身地と関係がありそうだとのことで火の国・熊本へと牧らが飛び立つ。そして、その山本が自殺したという阿蘇山の噴火口で牧がある仮説を立てる。
 
 何とも,自殺し損ねた山本が火口へと引き摺り込まれる前に思い直し、恐ろしいまでの生への執念の結果、這い上がってきたのが燐光人間だった、と・・・
 そうか、有史以前の生物は全てマグマから生まれてきたのか・・・うんうん・・・  3へぇ~ 
 あれ?でも、生命って水の中から生まれたとか何とかって話も・・・
 でも、大気中の二酸化炭素にせよ、溶岩にせよ「C」は含まれているだろうから結局、有機物が出てくる可能性はあるんだよな。ってか、抑々誰もそんな場面は見た事ないし。
 
 一寸ぶっとんじゃってるかな・・・。それとも本当に牧が全豹一斑できる人物だったのか?
 つい先日まで「SRIは警察じゃないんだ!」と、その違いを強調しておられた牧さんも、吸血鬼の末裔やアレの姿を見るに連れ、科学的根拠に裏付けされたウンヌンカンヌンでは説明できない“何か”を見付ける感覚に長け,或いは養われていったのでしょうか。。。
 
 一旦ここで調査は行き詰まりを迎え、残すはその燐光人間こと山本が何故阿蘇から東京(新宿!?)まで上ってきたのかにその焦点が宛てられます。
 
と、ヨウコがここで自宅に数ヶ月前に山本から託された本を仕舞っていることを思い出します。
 また其の本のタイトルが『沈黙』か・・・
 そして其処から鍵がポツリ
 東京西口ロッカーの鍵が!!
 
ってなわけで早速私も東京駅西口に直行してみようとしましたが、
 ない...
 
確かに総武線ホームから丸ノ内線ホームにかけてロッカーは多く犇いていますが、“西口”が何処を探しても見当たらない。。。
 若しかすれば当時は存在したのかもしれませんが、恐らく今で言えば丸の内北口の地下辺りだろうと踏んでいます。
 にしても、3ヶ月も鍵掛けっ放しだったんか・・・
 今も、そんなロッカーいっぱいありそうですけども。

 して、其処からは公団の汚職(俗に言う“黒い霧”)に関連した資料がどっさり・・・
 
山本がそこまでして知らせたかったのはコレなのか・・・

 で、結局その肝心な燐光人間こと山本、最期はヨウコの結婚式で燃やされてしまいます。
 
確かに「P」ってよく燃えるからな~
 それが証拠に赤リンではありますが、「マッチ」も「リン(燐)が一寸」と書いて「燐寸」って書かれる位ですからね~
 
 
最期は哀れにも真面目な男らしく、まんまとダミー人形へと嵌められる山本・・・

 

 ところで、最後に疑問が残る。。。
 それは「何故、山本がヨウコの結婚式に出向いたか」である。
 よくよく考えてみれば「黒い霧」は発見されたのだから、これで目標は達し得た筈である。
 
 SRIが山本の来襲を察知していたことからも、あの空白の時間にSRIが山本に結婚式に参加する様促していたとでも言うのだろうか・・・
 然も、ヨウコの新しき門出を祝う為に結婚式に現れたとしたのならば、態々ヨウコを狙う必要もなかった筈である。
 それが、公団社員のヨウコの恋人なら未だ話は通じそうであるが、今までの彼(山本)とヨウコの関係からしてみれば、恨みを買われそうな感じには思えない。
 とするならば、やはり山本の消息を尋ねる時のヨウコの様子がおかしいように思えた事などからも、ヨウコの家に『沈黙』を置きに行った其の後、何らかの形で山本が汚職に関する資料を握っている事が感付かれ、謀殺されかけた際、ヨウコもその場に何らかの形で関与していたのではなかろうか・・・

 (2006年03月18日01時28分31秒記す)
[2006/03/18 01:28] 怪奇大作戦 | TB(0) | CM(0)

猫もカラスもお友達 

 今日は気休め程度にと、地元ではない日比谷図書館へ赴いてみる。。。

 やっぱり、良いですね~
 場所が

 休憩で外に出る際には,狭く車の通りが激しいビルの合間を歩くより、やっぱり緑がある方が良い。
 然も、近くに噴水があるからマイナスイオンとやらが沢山出ていてそうで、体に良さそうだ。
 
 猫もいるし,
 鳩もいるし,
 亀もいるし,
 蟇蛙を土の中から穿る烏もいるし・・・

 唯一の難点は、一寸遠出しないと近くでは物資を調達できないことぐらいだろうか。
 その他は申し分ない。
 
 あった・・・
 
 あそこら辺,政治の中枢に近いから矢鱈とシュプレヒコールが喧しいんだった・・・
 まぁ、日比谷の図書館に行く時点で,そんな静謐な環境で本を読む利益など放棄するだろう事は重々承知しているのだから、抑々斯様な文句を言う事自体筋違いなのだが。
 以上。

突風~~~ 

 いや~、凄い風だった

 風速計が壊れるって何だよ。
 電車の扉が開かないって何だよ。
 携帯が繫がらないって何だよ。
 止んだかと思ったら降りだすって何だよ。

 おまけで髪はびしょびしょ
 服もびしょびしょ
 靴もびしょびしょ
 鞄の中までびしょびしょ・・・

 靴が擦り切れていたもんだから、ホームの外側でスッテンコロリンしそうになった。。。

 ああ~、走らなくて良かった
 
 なのに、ニュースでは暗黙の了解であるかの如く,さっぱり放送してないし・・・

 要は
 自然には勝てませんってこと。

黒光物体 

 帰り道、ふと足元に黒い物体が電灯で光り輝いていたので、思わず躱してしまった―――

 この春にも入るかどうかという時分にまさか!?もう…

 黒光りと言えば、例の昆虫を思い出さざるを得なかったわけであったが、案ずる勿れ、ただののど飴であった。。。

 然も、舐めてから暫くもしない内に、下に落としてしまったらしい…
 
 そういや、子供の頃、親が何時も舐めているモンだから、つい美味しいものかと思って普通の飴の感覚で口にしたら、エライ目にあった事を覚えている。然も、物覚えが悪かった事から、一度ならずに何度も…

 今となっては、普通にのど飴は口にできる様になったが、コレのお蔭ですっかり、「飴」と「のど飴」とは別種類のモノとのイメージが植えつけられてしまった。。。
 確か…正式な名称は思い起こせないのだが、ロッテの最もスタンダードな、黒っぽい長方形をしたあの飴である。カリンエキスだか何だかが入っていて、体に良さそうなイメージが…

 でも、やっぱし初めて食べたら、吃驚するんでしょうね、あの刺激…

 
 ―――以上。間に合わせ的な内容で些か反省しております。 

コーヒーの功罪 

 おぉっと!ついダノンに目を盗られていたら、全く違う方向へ進んでしまったではないか!

 今日、気付いた事は、コーヒーは余り飲み過ぎると頭に良くないかもしれない、ということである。
 確かに、一日一杯のコーヒーは発癌率を低下させるとのデータが出されていたり、ボケ防止にも役立つといった具合に正に万薬と言えるかもしれない。

 今日も学習をするにあたり、目が覚めないからと調子に乗ってブラックコーヒーばかり飲んでいた―――
 ところが、どうやら後半になってきてなかなか思う通りに捗らないこことに気付く。それどころか、段々頭が重くなってきているとさえ感じる・・・
 休憩をとる時間も少なかったということも災いしているのだろうが、結局予備校でも、テストをやってみると、ただ言葉を“形”として捉えるので精一杯。何が書いてあるかは全然頭の中に入ってこない。
 仕舞いには、20点中10点にも程遠く届かない有り様・・・

 要するに、コーヒーを続けざまに飲み過ぎると頭がぶっとんでしまう、ということである。
 帰りに近くのコーヒーショップに立ち寄ってみるも、コーヒーを頼む勇気はなくアイスココアを頼んでしまう―――

 だが、これで効果覿面。。。
 
 ―――やっと、喫茶店に行くと大抵の店には水が一緒に置かれている事が分かった様な気がする。。。
 
 兎に角、コーヒーを続けざまに飲むべきではなく、休み休みに中和させながら飲まなければならない。さもなくば、頭(脳)に負担がかかり過ぎてしまうのである。
 確かにカフェインは、朝の寝起き状態の頭に刺激を与え覚醒させるのには丁度宜しいのだろうが、それも刺激し過ぎると、却って頭が“麻痺”した状態となってしまうのだろう。
 
 これで今日得た教訓が一つ

 コーヒーは中和させて飲め
 
 これからは学習のお伴にはコーヒーだけでなく、お茶も必須のアイテムとなるであろう・・・

グルグル 

 ぐりぐり・・・グルグル・・・

 やっぱし、ダノン(ヨーグルト)は生で食べるより、よくかき混ぜて食うに限る・・・

 納豆を十文字に分けてから、お碗の中で空気と絡ませて食べるアレと同じ理屈である。
 抑々ヨーグルトなのだから、カップから其の儘の原型で食べる必要性はないのである。。。
 プリンならいざ知らず(というか、ミルクセーキになってしまうだろう)、ヨーグルトといえば、納豆と同じ醗酵系(?)なんだし・・・

第七話 青い血の女 

 評価:A+

 数々の特許を有し、田園調布に住まうという何不自由ない老後の生活・・・
 
 今回は、このようなある種理想的とも思える老後のイメージに対し、楔を差すかのような意味合いを持った内容となっています。
 
 親ならば、必ず避けては通れないのが子の独立。
 
 老人は老人の世界、僕たちは僕たちの世界さ―――

 老人を捨てた子供,そしてこの様な言葉に形式的にでも当て嵌まる者を次々と狙っていく殺人人形!!
 三沢も、とある“老人を捨てた”子に見間違えられ、そのターゲットとして2度(3度?)も狙われます。
 
 始めの内こそ(特に前半部)、何が何だかさっぱり分からない(「謎」という意味で)ストーリー展開でしたが、最後の場面も視野に入れて考えてみると、何故あの人形が動いていたかが漸く理解することができたような気がします。(殺人を犯す際に一々顔が青くなったのは「あれ」が乗り移った為でしょうか)
 裏を返せば、それほどまでに練り上げられた作品といっても過言ではないでしょう。
 
 特に、段々三沢を殺人犯として陥れる為の外堀を埋めていくかの如く発生していく数々の事件を通して、町田警部との間の関係が次第に険悪になっていく過程が直接的にではないにしろ、上手く描かれているなと思われます。例えば、三沢への扱い方が「参考人だよ」から「任意同行だよ」に変わっていたり,何処か町田警部の態度がぞんざいなものとなっていたり…
 周りは周りで、スケさんを庇う為に反発的な態度を示してみたり…特に、三沢からの電話に対して、警部に悟られないよう上手く切り交わした小川秘書の対応の仕方。流石は秘書!
 ・・・ってバレバレですやん!(笑)お蔭で的場所長とのやりとり、全然聞いてなかった。。。
 然し、今回の話は今日の社会にも通ずるところがあるため、特に意味深な内容となりました。当時は高度経済成長に伴う核家族化の進行といった背景等もあるのでしょうが、「こんにちは赤ちゃん」に代表されるように、所謂“ベビーブームの影”の部分をも良く表していたと思います。それが、現代は少子高齢化か・・・
 
 そんな時代背景の中、とある老人が孤独を忘れる為、自分に最も忠実な「あれ」を作り出してはみたものの、結局は「あれ」も子と同じように老人を見捨ててしまう。。。
 
 老人は何に愛情を注いで生きていけば良いのか・・・(勿論、子の独立を見守るのも愛情の故であるが、今回の様に“かわいさ余って憎さ百倍”となったのは、その負の側面が出た最も極端な例であろう)。
 それにしても、あの後老人は如何したんでしょうねぇ…。最愛(?)の「あれ」をも失い、子が見るに見かねて一緒に住まったんでしょうか?それとも・・・
 かなり古いな~と思いつつもラストの「こんにちは赤ちゃん(だったっけ?)」もなかなか良い味出してました。

 全体的に余り現実味がないかも(それ以前にSFでこれを言っちゃ~お仕舞いですが)という点では前作と共通する部分があったかの様に思われますが、何といっても最後まで「怪奇」を貫き通したという面では大きく評価できると思います。それに、社会問題としても現に訴えかけてくるものがありますからね…。
 
 一応、「あれ」も
 
 老人ヲ捨テタ子供達ヲ殺サナキャ―――(大前提)
 
 私ハ大人ヨ
 何時マデモ子供扱イサレチャ適ワナイワ ダカラ私モ老人ヲ捨テテ独立スルノ―――(小前提)
 
 ダカラ私モ殺サナキャ―――(結論)

 ってな具合に、辛うじて論理的に何言ってるか分かりましたからね。
 ・・・でも、やっぱり未熟だったじゃん。 
 
 最後に野村が一言
 
 「世の中奇妙になるとみんなアレになるんですよ」

 ・・・確かに少子高齢化が進む現代では、当時より一層,老人が孤独になる機会が増えたと言えるでしょう。
 しかも、ヒト型ロボットの開発がニュースにも上る昨今とあっては、将来的には、その老人の寂しさを紛らわせる為の人形というものも開発される可能性があります。
 と言うことは、こういう事態も見越して当時、このような発言がなされたのでしょうか!?
 あと半世紀も経てば、やっぱり子供はみんなアレになってしまっているのでしょうか・・・

 (2006年03月15日00時40分37秒記す)
[2006/03/15 00:40] 怪奇大作戦 | TB(0) | CM(0)

来た! 

 やって参りました・・・
 成績表が・・・

 どれどれ(..〆
 
 な、なんと!1科目落としているではないか!!

 という事は・・・晴れて大学残留決定です。
 単位全部取ってしまったら、準ニート降格決定だったのですが、嬉しいやら悲しいやら、何か複雑な心境でいっぱいです・・・

 ま、順繰りにやっていきますよ。。。最終手段として就活留年という途も残されたわけですし・・・

第六話 吸血地獄 

 評価:C

 ある日、放蕩息子がドライブ中にハンドル操作を誤り、同伴していた恋人のニーナを死なせてしまう。

 そして棺桶に入れられた日の雷夜、死んだ筈のニーナが忽如として息を吹き返す・・・

 違~うっ!
 
 内容は至って単純、人の血を吸って殺害する“吸血鬼”そのものである。
 最初こそ、戦慄を覚えるかの如きその顔にも思えたが、何度も変身する内に

 もう良いよ・・・

 といった感に苛まれた。。。
 
 これと言って特に書き綴る事もない―――
 
 ストーリー展開としても特に訴えかけるものもなく、ラストはラストで単に心中劇であった。
 また、起こる事件に関しても余りにも非現実的過ぎて、何も謎(「怪奇」)を感じさせない。。。

 敢えて疑問を投げかけるならば、果たしてこれで本当にニーナは死んだのか・・・
 吸血鬼の末裔なのに・・・
 また雷でも鳴って復活するんでないか―――まぁ、だからこそ離れ小島へと連れて行ったんだろうが…。
 幾らなんでも人間の血が無ければ流石の吸血鬼も生きちゃゆけんだろ…。
 後は、頭から真っ逆さまに落ちた筈なのに、何であんなに顔がキレイな状態なんだろ…
 そして、如何してあの時の牧さんの髪が些か薄く感じたのだろう…

 全体的に「未完」な感じの回でした。。。

 (2006年03月13日23時45分14秒記す)
[2006/03/13 23:45] 怪奇大作戦 | TB(0) | CM(0)

ガタンゴトン 

 最近、疲れからか電車の中で、座るや否や眠らずにはいられない。

 勿論、車内での時間だけを考えてみても往復で2時間近く,1日の1/12を費やしているわけであるから、本を読む等すればそれなりに時間は有意義に使えるであろうことは分かりきっている。

 頑張って今までのB5サイズの本でもなかなか車内で取り出すのは億劫であったから、更に一回り小さい,所謂「袖珍本」を買ってみるも、電車の揺れには勝てない。

 1頁目を開いて3行目に移ろうかという辺りには、既に片目が閉じている―――

 何が原因なのだろうか。。。寝不足か?はたまた読む本が、自分にとって分不相応なものであるのか・・・
 
 そうか!電車の揺れだ!!――――――
 要するに、電車の揺れは自分にとって最早、一種のマッサージを受けているかのような心地にしてしまうものとなってしまっているのである。
 
 こればっかりはどうにもできない事であるから、電車で本読めない分、焦って他の時間に更に集中力を増す様にできれば良いのだが・・・

鎌倉散策 

 合宿で全身疲労の肉体ではあるが、今日一日休養がてらに鎌倉まで赴いてみた。。。

 最終的には北鎌倉駅から出発して円覚寺→建長寺→天園→瑞泉寺→鶴岡八幡宮へというコースを辿った。

 取り敢えず、この場に於いては、それを語るのもヤヤコシイので、また日を改めて携帯で撮った写真とかをアップできれば、と考えている。。。
 でも、こんな事言ってもなかなか実行に移さないんだろな・・・

 ―――にしても、鎌倉、道が狭い上に車,多過ぎです。
 まあ、古来せいぜい通ると言っても人か馬程度で“自動車”なんてモノが通るなんて想定していなかった為だろうが、特に鶴岡八幡の前の交差点みたいに余りにも時間が短過ぎる割に待つのは長いというのも如何したものだろうか、と。確かにT字路である事からも、ある種やむを得ない感が否めなくはないが、クラクションを鳴らしたくる光景を見て歩行者が圧倒的劣位の立場に置かれている様な感が・・・。も一つ頑張って二車線に・・・と言うのもなかなか難しそうですね。
 
 それが鎌倉が「鎌倉たる」地域を生み出す所以の一つともなっているということもまた事実なのでしょうが―――

早くも 

 今日で3月11日か―――

 意外にも、日にちが早く過ぎていく現状に焦りを感じ始めている。。。
 
 でも、そんな事であたふたしているより、他にもっと為すべき事があるだろう、と。

 カウンターを設置してみたは良いものの1週間で12件という実績である。。。
 
 然も、その内の2件は自分のをカウントしたものであるし、風俗関係のものすら混ざっていたりもする有様である。。。

 さて、明日から如何するかな・・・