『アンドロイドは・・・』の記事について書いたら凄い伸び率(何と10人,平時の2~3倍にあたる)ですね。 著者の死後であっても、やっぱり依然として人気があるんだなということを感じさせます。 そして、今日に至ってはこの数字(何と2人,平時の0.5~0.75倍にあたる)。恐らくこのブログに訪れた多くの方が、この記事を以って見限っていったのでしょうね。。。 こんなことなら、もっと読み込んでから書けば良かった・・・。
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一週間も風邪を拗らせてしまったようで、相も変わらず鼻水が止まらないので医者に見てもらったところ・・・ どうやら風邪が鼻炎を誘発し相俟って、鼻の出が爆発的に増えたのだそうです。 花粉症の時期でもないのに、鼻炎,しかも風邪にやられるとは・・・。 でも、まあこれでかなりの免疫は付いただろうので、取り敢えずこの冬は大丈夫だろうと思います。 窓を開けっぱにして自滅しない限りは。
ええと,今日の飲み会の話は置いといて、と・・・(笑)。 よく考えたら昼メシをろくに食ってなかったので、久々に家でメシを済ませようと帰宅。 テーブルの上には食べ差しのカップ麺のスパゲッティ。 しゃあない、新しく何かを開けて食べるのもモッタイナイから、コレをチンして食べるか。 そしてサランラップをかけてチン。 手に火傷を負いながらサランラップを外して吃驚。 何と、容器の発泡スチロールが深い痕を残し、溶け出しているではないか! これは完全にストレントリマーとか採っているなと思いつつ完食。 環境ホルモンを摂取した体は些かばかり元気になったような気がします。 ところで元気になったといえば、今日のOB・OG会。 最近、飲み会や合宿にさっぱり参加しておらず、尚且つ何といっても未だ進路も決まっていない身だから、さぞ疫病神っぽく扱われるんだろなー・・・って思ってました。 でもその予想も外れ、意外にも教授・先輩を始め、多くの人がしょーもない話に乗ってくれたので、とても「ありがたいなー」って帰電でしみじみと感じてました。 もうちょっと活きてみる(!)かなっていう決意を再び新たにできたOB・OG会でした。 ・・・あれ?結局何の話をしてたんだっけな? まあいいでしょう。また明日から歩きなおしていこかと思います。
73.5% ・・・これ何の数字だと思います? 札幌地区での日本シリーズの瞬間最高視聴率だそうです。平均でも52.5%だそう。 つまり2人に1人,一時的には4人に3人が野球見てたってわけ。 よほどの盛り上がりだったんですね。やっぱり。 東京ドームが本拠地だったときからすれば想像もつきません。 これこそ正に地方分権を進めてきた成果といえるでしょう。 それに比べて巨人は・・・ 仮に今の状態のまま来年優勝したってあんまり視聴率とれないんじゃないかなって思います。 少なくとも北海道地方と東北地方の支持基盤を失ってしまいましたから。 ナンだか『巨人体制の崩壊』を見てると微妙に社会勉強になったりもするなーって思います(汗)。 「奢れる者久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」
最近、近所で急にみるようになったなーという鳥が「ヒヨドリ」です。 由来は至って単純。「ヒーヨ,ヒーヨ」と鳴くことから名づけられたそうです。 このヒヨドリ、今やスズメ,ハト,カラスに加えこの四大野鳥としての地位を築いているようですが(つい最近までヒヨドリの存在まで知りませんでした)、コイツら群れをなすと非常に喧しい且つあんまりキレイでない。まだスズメが群れをなしていた方が可愛げがあります。 人や動物が近づくなり、「ギー,ギー」と何とも汚い声を発し、そのおぞましさはと言えば、とある日の目覚めをも手助けさせてもらったほどです。 それとは対照的にカラスはめっきり減ったように思います。確かに「不衛生」ですし、デカイ故「危ない」。ゴミは喰い散らかすし・・・で多分自治体の側でも何らかの駆除を行ったのでしょう。 ・・・そういえばヒヨドリが増えたのは、ちょうどカラスの姿を見なくなってから。 生態系が崩れたなんて大きな話じゃないでしょうが、余りにも見事にその蔓延り具合が変わったのには、ちょっと驚きをも憶えます。
毎度、どうもありがとうございます。 気が付いたら既に800人を突破させて頂いたようで(毎日「1人」或いは「2人」の固定客を生み出してしまっているようですが)。 「8」という数字を見ると、何となく「10」まであと少しという感じが俄然増すのですが、気のせいでしょうか。年内までに1000人の大台突破・・・はなかなか難しいでしょうね。 何はともあれ仕様もないブログに態々足を運んでいただき、出す言葉もありません。 (2006年10月27日00時49分18秒現在、807名)
(c)1966 大映(現・角川ヘラルド映画) 84分20秒 評価:B すみません。コレ見る前まで『大魔 人』だと勘違いしてました。やたらと劇中で「○○○○か!!」と言わせんばかりに「神」,「神」と連呼してましたが、こういうわけだったんですね。 話の内容は典型的な勧善懲悪モノです。しかも完全なる日本の時代劇的な。「『日本文化』を代表する特撮映画は?」と問われれば、真っ先にコレを挙げることができるでしょう。 時は戦国時代、所謂「下剋上」の脅威が世を席捲していた当時、家老たる身分の左馬之助が城主に対して謀反を起こすことから始まります。ただ、この左馬之助,謀反を起こしてはみたものの、その治政はと言えば余りに傍若無人。当時としてはこのような状況も左馬之助が例外ではなかったのでしょうか。今からすれば「戦国時代」と言えば壮大な権力闘争という上での戦国武将同士のイメージが付き纏いますが、その歴史にも現れず埋もれてしまった下層部では、見るに耐えない凄惨さが存在していたことは忘れてはならないと思います。「戦国時代」と雖も、飽くまでも「封建」的な時代だったのですから・・・。しかも当時には大魔神なんて居なかったわけです(それは専ら心の中だけでの存在だったのでしょう)。 んで、擦った揉んだがあって殺された城主の子供である忠文・小笹と家臣の小源太らが、依然苛政を曳いている左馬之助を討とうと立ち上がります。 ・・・でも、やっぱりダメ。案の定、小源太はいとも簡単に捕まり、彼を助けに行こうとした忠文もまた捕らえられてしまいます。 これと同時に、山の魔神像が村人の支えにもなっていることに着目した左馬之助は目障りということもあり、破壊を家臣に命じます。 ところで、この魔神像。正直、初めてみた時は200円切手を思い出しました。結局この魔神像が壊されて山の中から怪獣の如く魔神が登場する・・・と思いきってましたが、実際にはこの魔神像こそが、その魔神でした。 ・・・なら、頭のど真ん中に鋼を打ち込まれたのに大丈夫だったんかいな?まあ、魔「神」ですから何でもアリですけど。 鋼を打ち込まれたことや、小笹の涙の祈りも相俟って、魔神が遂に怒り心頭に発して動き出します。 ここで有名(?)な「神」の形相から「魔神」の形相へと変わるシーン。・・・コレってアリかいな?ちょっとずるいぞ。 そして、左馬之助の砦まで飛んできて只管大暴れ。仕舞いには左馬之助も磔,釘刺にされてしまいます。・・・何か妙にキリストっぽい死に方でしたが。 コレでめでたし、めでたし・・・かと思ったら村人まで飛ばし始めます。本当にまるで容赦ない。ここら辺は所謂「ヒーロー」とは大魔神が根本的に異なるところです。まあそれでも、小笹の健闘により何とか無事終了。 一言で、この特撮技術は「凄い」です。今から40年前に作成されたとは言え、現在と比べても全く支障は無いと思います。 ただ、やっぱりジャンルがどちらかと言えば「時代劇」ということもあり、今に引き直してみると如何しても評価し難いです。特撮技術の精巧さ等然々についても全くのド素人なので、も少し他の作品を見てみないと分からないなーと言うのが本心です。ですので、取り敢えずは「B」。以後、機会があったら上げ下げしていこうかなと思います。 (2006年10月27日00時48分31秒記す)
ここんとこ、毎日のように人身事故が発生していますねー(少なくとも私が利用しているJRの路線では)。 勿論「人身事故」といっても様々な理由があるでしょうが、それにしても最近ちょっと多すぎるような気がします。 秋は物悲しい季節だから・・・というのも一つの理由かもしれませんが、取り敢えず駅のホームに都営がやっているように柵を拵えてみては如何でしょうか。 無論、柵を設置するための建設費や、地下鉄と違い風雨の影響も受けるでしょうからそれに対する維持費だってかかるでしょう。でも、人身事故が発生することによるダイヤの乱れという損害を避ける意味でも、そしてまた、何よりも人命を守るという意味からも十分柵を設ける合理性はあろうと思います。 まあ柵を拵えたら拵えたで、動物と一緒になってしまい、人間としての尊厳に傷がつくという気持ち悪さも当然生じてくるでしょう。 ただ、こうして「細心の注意を払う」という姿勢を求めることも人間としてあるべき一つの姿ではないかな・・・と、如何でも良いことを車内で考えながら帰ってきたわけです。
毎度、牛丼種でゴメンなさい。 でも、金銭的な事情からこれぐらいしか書けません。無念・・・。 昨日は、何処も食う場所が見当たらなかったのでやむを得ず(?)、1年ぶりくらい(少なくとも心の中では)に「牛丼」と書いてるのに売っていない「吉○屋」に行ってまいりました。 と言うのも、先日のBSE騒動以来メニューの対応の悪さ,米産に固執する姿勢が余り好ましく思えなかったからです。何でそこまでして、敢えて危険な米産牛肉を食べさせたいのか、と。 勿論、米産牛肉だったら断るつもりでしたし、抑々やっぱり「牛丼」置いてありませんでした。 と言うわけで、安全で体にも幾分か宜しかろう豚丼をチョイス。 ・・・でも、やっぱり他の牛丼チェーンに比べれば値段は張るよな・・・。しかも肝心の 肉の部分が少ないし。まあサラダが10円安かったのでその分と相殺かな・・・。 そういえば、その「豚丼」。頼むときに一つ気になった点があります。 それは、どうしてこれを「ぶたドン」と読むのでしょう? 普通に「トンドン」と頼んだら、あっさりと「ぶたドンですね」と訂正されてしまいました(泣)。 でも「牛丼」が「ギュウドン」って音読みなんだから「豚丼」なら「トンドン」って呼ぶのが筋でしょう。実際、他チェーンではちゃんと「トンドン」って言ってたように思います。 大体、後から他チェーンに取り残されてはマズイと「豚丼」を登場させたのも遅かったくせに、恰も独自で開発したかのように湯桶読みして気取りやがっ・・・ どうでもよくなってきたのでココらへんで切ります。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ですね。それもこれも、元はといえば豚肉の量が少なすぎたのが原因で云々。 (終わり)
ついに口を開けっ放しにしていた所為か、口内炎まで発症してしまいました。ここ1年以上は平和な日々を送れていたのに・・・ 勿論、食欲減退。味わって噛む事できませんし。 おまけに歯も痛い・・・ やはりこれも「牛」の祟り・・・
どうやら、先日の風邪と一緒に、長年封印されていた鼻炎が再発したようです。 鼻孔の片方でしか空気吸えませんし、鼻をかもうとすると爆音が鳴り響きます。 仕舞いには、寝る時なんか犬のように口でしか息が吸えない状態です。 そうすると、今度は歯が痛くなって・・・ 「風邪」ってホント怖いですね。今に至って漸く気付きました。 昔は「子供は 風邪の子」なんて言ったりしましたが、どうやらそこで免疫をつける機会を逃してしまったようです。 ・・・ん?やっぱり馬鹿だったのか。。。
何か大それたタイトルを付けてしまいましたが、特に深い意味はありません。 今日は時間が余っていたので、2箇月と1週間ほど前、世間(世界?)を騒がせた靖国神社に行ってきました。 と言っても、神社の近くのベンチで暫くボーっとしていただけです。 廃人のように。 ・・・んで、気付いた事。 欧米人は手を叩いたり拝んだりはしませんね。 寧ろ、それを日本人やら韓国人(?!)やらがやっているのを物珍しそうにビデオで撮っているくらいです。正に「○○○○か!!」って感じです。 あと、最近巷で話題のパールさんが大人気でした。私はそれと気付くまで、ずっとインパール作戦のことだと勘違いしてましたが。 はい。それだけ。 まあ相変わらず警官なんかも徘徊したりして物騒ではありましたが、また今度、「大人」となる前に遊就館でも行ってみよかと思います。 ええ, 社会見学に。
「只今、高尾駅線路内に人が立ち入ったため・・・」 またか・・・。 急いでもいないのに、たった5分の遅れでも苛立ちを感じてしまう。これって大分“損”なことですよね。急いで目的地に着いたところで、それだけ有意義な時間を過ごせるものでもないのに・・・。 どうしても普段「当然」であることが「当然」でなくなると、ある種の非日常的な怒りが湧き起こってしまいます。そう,少々の時間の遅れぐらいだったら、着いてから取り戻そうと意識すれば簡単に取り戻せるはずなんです。 こう、無駄なところで時間に支配されてるんだなーって感じます。いえ,それよか「当然の前提」が機能しなくなっていることへのじれったさかもしれません。似たような場合としては、車の運転中に前の車が妙に遅かったりする時も同じです。 ――― 一体、この怒りが何処から巻き起こってくるのか? 非合理的なことだと分かっているのに、それでもストレスを感じてしまう。段々自分の心が攻撃的になってきているのか?!・・・得体の知れない恐ろしいヤツです。
今日、友人の誘いもあり、企業公演会に出かけてみました(既に「他発的」です)。 ・・・もう、こんな時期なんですね。 ええ、未だ院試も残っています。でも、 2008年度の就活は刻一刻と進んでいるのです。 それが証拠に、読売テレビは今日の13時を以って一般職が〆切になるようです。一般職が、ですよ(勿論、私自身は自己分析もろくにやっていないのでそれどころではありません)。 順調に数だけこなしていけば、院試が終わるのは2月頃・・・ となると、下手すると自己分析やら企業説明会,セミナーやらろくに参加しない内に体当たりすることになります。言わば「手遅れ」にもなりかねないのです。 これはマズイ。されど、頭は極力今の儘を維持しとかにゃならん。。。 正に どっちつかずです。ある意味、宙ぶらりんであることは最悪の状態とも言えます。 取り敢えず11月の試験終了を皮切りに、真面目に就活に取り組んでいく腹積もりです(少々遅いだろうことは認識してますが)。それまでは脇目も触れずに試験勉強を、と。 いっそのこと、関西系の企業にでも就職考えてみようかな~・・・(完全なるある種の憧れだけです)。
風邪引いてしまったんで早めに帰ってきました。馬鹿だと思ってたのに残念。 ・・・いや,馬鹿だから風邪引いたのか。 思えば今日の晩、寝ている間徐々に喉が痛くなってましたからねー。 予備校とかの密閉された部屋は意外と「菌だらけ」なんですね。 まあ熱と頭痛がないだけ未だマシだと思いましょう。 こんなこと考え出したら、電車にさえ乗れなくなってしまうでしょうから・・・。 今日は風呂入って早めに寝ます。
おい,このもみじ饅頭うみゃ~な~。(起) ホンマや!ほんに餡子だけじょ~のうて、チョコやクリーム味なんちゅーんもある!(承;「流れ」) そん昔、助兵衛な伊藤博文がコレ持ってきた売子に「君の手はもみじみたいじゃね~」とか言うたのが始まりやとか,そうやないとか(「内容」)。 オイの分も食うな!(転) そいなもんばっか食うとるといっかそのクリームみとーになっちまうど!!(結;「オチ」)
気づいたら、この10月は快調ですね~。今まで類を見ないほどの日記の更新度です。 そーいえば、いつぞやに友人からブログの極意を伝授してもらったことがあります。 ―――いいか!良いブログを書きたいのなら「 流れ」「 内容」「 オチ」の3点をきっちりと盛り込むんだ(間違ってたらゴメンなさい)!――― 「流れ」とは、いわゆる起承転結をしっかりせよということでしょう。確かに、文の流れが悪ければ読みにくくなるばかりでなく、結局話の核心を伝え切れないで終わってしまう可能性だってあります。 「内容」とは、記事を書くからにはそれなりに人が読んでいて価値があったなーと思わせるほどのものであることが必要ということです。これはブログ全体の価値を決めるものでもあるので「なるほどなー」って思いました。つまり、「人が時間を割いてまで見るものか」ってことです。 「オチ」とは、これも「流れ」の一つといえるでしょうが、最後を締めよということです。別に面白くしなければならないというわけではありません。感動系なら感動系,恐怖系なら恐怖系,謎系なら謎系で構わない。つまり、その記事に合った終わり方をせよ,敷衍すれば読み手の印象に残るようなものにせよというわけです。 そこで、早速自分のブログを検討してみると・・・ ・・・お見事!というまでに「オチなし」「意味なし」「流れなし」の三拍子が揃っています。これじゃ~ただの惰性でやっているのと変わりません。 無論、つらつらと「量」ばかり重ねるよりも、以上の3点を踏まえた「質」のある記事を少なくとも拵えていく方が遥かに効果的です。場合によっては、少ない方が良い記事をピックアップする手間が省けるから読み易くなるということもあるでしょう。 ・・・初めから、そのような力が備わっていれば。の話です。 今さら言わずもがなですが、私にそのような力はありません。下手したら「付かず仕舞い」だってこともあります。 でも、それでも何とか「読むに耐え得る」記事を書いていきたい,という気持ちは変わりません。そのためには先ず「書き捲くる」しかないでしょう。書いて書いて書いた挙句に、良記事かどうかを取捨選択できる目が養えるのだろうと思います。 「千里の行も足下に始まる」。これからも下手な記事を書き捲くっていきます。気に入らなければ削除だって辞さない腹積もりです。 『石部金吉の備忘録』は、進退していくブログです。 (最終回じゃありません・・・たぶん。)
廃人宣言から早3日。最近、電車内ですることがなくなってきたので、久しぶりに人間らしい生活に戻ろうと、近くの書店で3ヶ月ぶりぐらいに文庫本を買いに行きました。 ・・・と大それた事を言ってしまいましたが、「文庫本」といっても新書とかそういう類です。 ざっとみてみたところ、3ヶ月前と比べて、半々の割合で新しいヤツと生き残ったヤツとがあったように思います。 勿論、その場で本を一瞥して識別するなんて技術は私にはありませんでしたから、平積みになっている本で、一番数が少ないのを適当に選んで来ました。冷静な判断力よりも無駄な読書欲の方が圧倒的に勝っていたので。 んで、その勢いでレジに向かってみて吃驚。 何と、200頁足らずの本が 一冊800円。 ・・・とある日の一日分の生活費に相当する額ではないか! 好景気の波がこんなところにまで押し寄せてきている(!)とでもいうのか。 何時も「本」と言えば、ブックオフの「100円コーナー」しか思い出せない私にとっては大きな痛手です。 携帯代も支払ったことだし、また明日からまた激貧生活を再開させねば・・・ (終わり)
朝起きて気付いたことに、意外に面皰、多くなってました。 多分、ここ1,2週間、外食が肉食ばかりだったせいでしょう(やたらと牛肉食べてましたし)。 しかも、それに比例すべき野菜は全く採ってません(せいぜい気休め程度に野菜ジュース1本位です)。 以前は、「松屋」や「さくら水産」などでメシは済ませていたのですが、ここ1,2週間は「飽きた」というだけの理由で専らハンバーグばっかし食い捲ってました。 確かに「松屋」行ってた時は必ず豚丼にサラダらしきものを付けてましたし、「さくら水産」だって魚食わなきゃ勿体無いということで殆ど魚食ってました。 ・・・よくよく考えてみれば、意外に所謂そこらの「外食(ガイショク)」よりも、そういった場所で済ませていた方がヘルシーだったのかもしれません。それよりも、「牛」は私の体には余り宜しくなかったのでしょう。つまり、「牛」が貧乏体の私を拒んでいたわけです。 う~ん,体がだるくなったような気がしてきたし、これからは元通りの食生活(?)に戻すかな・・・。
ブン,ブン,ブン,ブ~ン,ブ~~~ン・・・ 余りの暑さに窓を開けて寝ていた私は、ふとこの騒音に気付き目を覚ます。 うっせぇ!走り屋ども!! 今は、ただこの一言に尽きる。寝付きが悪かっただけに、一旦起きてしまったらそれこそ悲惨である(こんな時間にブログを書いていることからも察せられるでしょうが)。 何故、警察は斯くも取り締まらないものか。 しかもつい最近に始まったことではなく、半年位前からそうだ。 要らんところで路駐やら標識違反だの取り締まるクセに、こういった騒音には驚くほど無対策である。 コンビニに停めてある車も明らかにプレートナンバー改造してる状態なんだから、何も躊躇う必要はないはずだ。 私的にはいっそのこと、 カラーボールを走り屋の車に投げつけてやりたいほどである(アレ、専用の消字器を使わないと滅多には落ちないみたいですねー。車はどうか知りませんが)。 あんな奴ら、電柱にぶつかっちゃえば良いのに。
ついたった今,気付きました。 よく考えてみると自分がブログを書き込んでいる時は基本的にヤバイ時だな・・・と。 こう最近、軽く鬱なのは中日が優勝してしまった所為でせうか?それとも・・・? (終わり)
緊急事態です。いえ,「ブログにとって」のです。 書くべきタネが全く見当たりません。 そりゃ~毎日朝起きるや否や新聞も見ずに予備校行って、昼になったら飯食って、夜になったらまた飯食って、気付いたら一日が終わる・・・ という余りにも変化のない日々を過ごしていたら、そのようになってしまうでしょう。然も定まるべき目標も見付からずに・・・。 正に 廃人です。 このままボケていってしまうんじゃないかと心配にもなってきています。 確かに、柔軟な判断力が衰えてきているような気もするしな~(元々あったかも疑問ですが、最近コケ易くなったので注意力が散漫になっているのは本当でしょう)。 さて、そろそろ応急措置を取らないとマジでヤバイことになりさうです。 せめて次回の試験日以降は対策を練らないと・・・
あ~あ・・・阪神負けちゃいましたね。しかもBクラスが確定した 巨人に。 しかも、こんな僅差で本来盛り上がるべき時期だったというのに、相も変わらず民放では放送せずじまい。ラジオでさえ、そうです。確かにプレーオフも白熱してはいますが、セリーグが巨人の調子が悪いというだけでこれだけの仕打ちとなるのは・・・納得できません。 マスコミの力って凄いな~ブツブツ・・・。
以前までは然程気にした事はなかったのですが、先日従姉妹に「何で東京と関西ってエスカレーター乗るとき逆なんやろーね?」と問われて「ははぁー。確かに。なるほどなー」って思いました。 そして、今日(と言うより昨日)、その言を思い出して、観察してみると・・・あれ?どちら側に寄ってたか忘れた。 自分はどちらかと言うと右手に鞄を持つ事が多いので、皆左側に詰めて停まっていたのかなー。歩くとき壁を右側にすると擦れそうで怖いので。 でも、それ以外にも実に面白いことを観察できました。両側に人が居ないときには必ずと言っても良いほど歩いている人は皆中央を歩いていくし、幾ら左側に停まると言っても人が居なけりゃ結局左寄りで皆歩くものなんだなーと。 また荷物を持つのは右利きの人が多いのかと思っていましたが、実際右対左は6対4程度でそんなにバラつきもない。 となれば、やっぱりコレも慣習や文化なのでしょうかねぇ・・・。 コレに対して、確かに関西では右寄りに停まっていたかと思います。 さて話は膨らんで、では実際の道路上ではどうだったか。 車で進むときは確かに日本では一般的に左側を走ります。 でも、これもよくよく考えてみれば左に複車線ある場合には、右側が追い越し車線です。つまり、急いでいるならやっぱり右なんです。 とは言うものの、「停まる」のと「進んでいる」のとでは違う気もするしな~。 結論:どっちでもええじゃないか! 気にしなきゃ気にしなかったで良いんです。しかも、今更知ったところで如何にも変えられるもんでもないでしょう。つまり前の人が左に立ってりゃ左に立つ。右に立ってりゃ右に立つ。少なくとも 真ん中で突っ立ってなきゃソレで良いんです。
Q7.最近流行の『mixi』には乗り換えないのですか? A7.はい。カテゴリー機能がなかったためです。あと一般公開しておきたいっていうのもあったんで。更に、「会員制」だと行く行くは廃れた時は誰も見てくれなくなるのかな~なんて・・・。 Q8.どれぐらいの速さで更新しますか? A8.区々です。嘗ては三日坊主にならないためにも「毎日更新」を目標としてましたが、最近は特に拘るつもりはありません。 Q9.最近、画像がアップされてないようですが? A9.数ヶ月前にメモリーカードを無くして以来です。先日、電化製品店で数千円で売られていたので尻込みしているところです。 Q10.何で、わざわざ映画・テレビ作品の評価付けを行っているのですか? A10.ボケ防止です。勿論それも一理あるのですが、やはり折角見たのに何となく「面白かった」「つまらなかった」だけで時間が過ぎ,忘れゆくのもモッタイナイので、表現し難い作品であっても出来る限り筆者なりの考えを纏め、伝えていければと思ったからです。的外れな批評も多々あるでしょうが、素人は素人なりに「素人(極言すればサル)から見た視点」を伝えられるようモットーとしていくつもりです。 Q11.結局、バイトしないんですか? A11.・・・忘れてました。
毎度毎度有難う御座います。 これからも、極力ブログは更新していきます。 明日は生活環境改善のため、早めに家を出ようかと思ってるので、ここいら辺で。 せめて何か記事は載せておきます。 (2006年10月03日22時40分05秒時点、来訪者701名)
(c)2006 METRO ASSOCIATES 121分 評価:B 懲りもせず、またも新カテゴリーを拵えてしまいました。 しかも、今回は「映画」とだけあって、益々本人の主観に左右されるところが多いので、世間でいうところとの評判が余りにも乖離し過ぎることがないかな~、ってちょっと心配になっています。 兔にも角にも、今回は初回とだけあって、評価は「B」を付けさせてもらいます。今後も良作が出され行くことを期待して。 さて、肝心の内容ですが、話は至って単純(?)。 ある日、父の見舞いにも行かない息子が地下鉄で帰る途中、死んだ筈の兄の姿を追い続ける。そして、兄の姿を追う内にいつの間にかタイムスリップしてしまったというお話です。 兄の死んだ原因が父との物言いだったことから、父を怨み続けた主人公。でも、色々とタイムスリップを重ねていく度に真の父の姿を目の当たりにしてしまいます(ここら辺が曖昧だとか、地下鉄関係ないじゃんっていう突っ込みはあるでしょうが、敢えて目を瞑らさせてもらいます)。 自分の生まれた時はどんな父だったのか。果ては自分が生まれる前はどんな父だったのか。タイムスリップ系ではありがち(?)な話でしょうが、最初から全てを悟らせないストーリー展開(当たり前ですが)はなかなか面白かったと思います。 ・・・にしても、結局自分の兄が死ぬと分かっているのに止められないという「タイムスリップで歴史は変えられない」ことを堅持したかと思えば、愛人である「みちこ」が母の夢を叶えられないことを知り、突然「自分殺し」をしてしまうという展開には、「変わらない」という前提があると思っていただけにちょっと衝撃的でした(まあココら辺も厳密に言えばタイムスリップによる「自分殺し」はできないことになるのは以前言及した通りですが、そこのところも少し置いておきましょう)。しかし、彼女の選択が本当に正しかったのかどうか・・・(勿論、主人公とは同じ父親同士ですから「結ばれない愛」だったのには違いありませんが)。 始めは単なる今流行りの団塊世代向け(?)の懐古趣味かな~って思ったりもしてたんですが、話の筋はキチンとしていたので寧ろ「昔」が良い按配で生かされていた気がします。ただ、折角タイトルが『地下鉄に乗って』なので、もうちょっと「地下鉄」が生かされても良かったかなとは思います(ココらへん、原作がどうなってるのかは気になるところではありますね)。 それと、最初に出てきた兄は父の死を目前に控えた主人公に「真の父の姿」を見せたかったんでしょうね。そう考えると、走れど走れど追いつかなかったあの兄の姿は、ちと不気味な様にも思えますが。 それにしても、本作は「出来すぎ」の感はありますが、確かに自分が生まれた時、周囲の人の様子はどうだったのかというところは是非とも見てみたい1シーンではあります。タイムマシンができたなら、真っ先にそこから見始めるのかな?幾ら歴史上の大きな出来事であったって、これに如くものはないだろうと思います(飽くまでも「多分」としか言い様のないものではありますが)。 後は、敢えて希望を申し上げますならば、“遡及的に”流産になったとは言え「みちこ」さんのお墓もチラッとでもお参り行くシーンがあれば尚一層良かったかな、と思います。 まあ、感想としてはこんなとこかな。 ・・・ん?待てよ。確か主人公の兄貴が死んだのが1964年の10月5日午後11時半過ぎ新中野駅出口附近で、姓が「小沼」だったよな。という事は、若しかして、この1,2日後の新聞の地方欄を見たら名前が載っていたりして・・・ (2006年10月03日01時35分45秒記す) P.S.今の仕様もない洋画に比べれば、まだまだ十把一絡げに邦画が劣るなんてことありません!
今日も何時もの場所へ向かう途中、何やらスーツを着た若い人達がぞろぞろと電車に乗ってくる。 ナンだろか? 街中を歩いていると辺りからこんな声が聞こえてくる。 今日は入社式だから、準備しとかないとね・・・ そうか、今日が入社式だったのか。 今更就活しても殆どダメなんだろな~と思いつつ、一人乗り遅れた気分がする。 そう。「焦り」とも呼び難いそんな感じが。 でも、これで良いんです。 今のまま社会人になっても絶対悔い残してたでしょうし・・・。
今日のプロ野球の試合は雨で中止です。 ってなわけで、今日は本ブログも中止です。 因みに、私が以前居た山形では「試合どうだった?」と訪ねると「巨人の試合どうだった?」という「巨人の」という隠れた前提が存在します。 今はどうかは知りませんが。 はい,どうでも良かったですね。余計でした。(終わり)
折角復活したことですし、本ブログに対して想定し得るであろう疑問について説明しておこうかと思います。勿論、新たに質問して下さること大歓迎です。 Q1.なぜ『石部金吉』なのですか? A1.嘗て筆者が漢字テストを受けたときに「石部金吉金兜」と書かせる所の「金兜」を「金が2つ付くのはおかしい!これは出題ミスだ!!」と意固地になって「鉄兜」と書いてしまったことに端を発します。見事×をくらったことは言うに及ばないでしょう。 Q2.どうして文の完成度が低いんですか? A2.文を書くのに余り時間をかけてないからです(悪い意味で)。実際、文の見直しとかも行っていないことも儘あるので、支離滅裂なのは勿論のこと、結局何を伝えたいのか分からない文章も散見されます。 Q3.なぜカウンターを設置したのですか? A3.スライムの柄が気に入ったからです。 Q4.「OK大学」ってどこですか? A4.どこという程のところでもありません。一応、大学生です。特に何かをもじったというのでもありません。「OK牧場」が頭に思い浮かんだから位のノリです。因みに、 『慶應ちゃんねる』と本ブログとの関係は一切ありません。 Q5.趣味は何ですか? A5.色々です。最近、「廃墟」にはまりつつあります。 Q6.リンク先とのご縁は? A6.廃墟が好きだからです。
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