珍遊度:★☆☆☆☆ なんか、こんな写真を載せること自体お粗末様なのですが、一応、当時は面白かったのでしょう。 「パソコンに『放置』してメモリーを食うぐらいだったら、どんどんアップしていこう」と。  はい。世にも奇妙な『 ハンディープリン』です。 「で?」って思われるでしょうが、 元々固めて形が整っているはずのプリンが「崩れている」っておかしくありません? もっとも「崩れている」と言っても、完全に液体状であるわけではなく、口に含んで2回ぐらい咀嚼した後のような感じです。 「あんまり大差ないじゃん」って思われるかもしれませんが、私的には「あの整っているプリンを口の中で潰す」(たとえそれが2回目の咀嚼に至るまでの過程であっても)感覚が好きという指向があるのです。。 (2007年12月31日10時37分04秒時点、3604名)
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大盛のラーメン界では“大御所”と言っても良い存在でしょうか。 ラーメン二郎の登場です。 新宿・神保町・高田馬場・・・と数ある二郎の中でも、その総本山がこの『三田』本店です。 近くにある慶大生の中ではこの店に通いつめる者のことを『 ジロリアン』と称したり、朝・昼・晩(三田本店は午後2時ごろに閉めるので、夜は他店に行ってまで食べるそうな)三食を二郎で過ごすことを『ハットトリック』と言ったりする・・・らしいです。 そんなわけで、私も行ってみました。ちなみに、この店に行く前は高田馬場の二郎で食べたことがあります。  このときは「野菜多め」で注文したので、これだけこんもりと盛られているようにみえますが、そうでなくとも量は十分過ぎるほどあります。 ラーメン「小」が500円、「大」が550円なので、50円の差なら「大」を頼んだ方がお得でしょう(「食べきれる」という保証の上で)。  もちろん私もちゃんと食べましたよ(汚くてゴメンナサイ;)。 『二郎』を始めて高田馬場店で食べたときもそうだったのですが、これだけの量になると食べ方にコツがいるようになります。 それは ① まず、最初に野菜から食すこと。 ∵野菜はほとんど水分なので最初食べる分には腹に負担がない。 ② 次に、ひたすら麺を食うこと。 ∵野菜の次に腹に負担がない。 ③ 最後に、叉焼を食すこと。 ∵一番腹に溜まるものだから。決して途中で口にしてはならない。 ④ スープは飲むべからず。 ∵気付かないうちにムダに腹に溜まるから。食べ始めたら気付くだろうが、 スープを飲み干さないことは負け組みではない(実際には、それどころではなくなる)。むしろ、途中で通ぶってスープを飲んでしまい、麺・具の類を結局は残してしまうのこそ負け組みである。 の4点です。まあ、「是非、完食したい!」という場合には試してみて下さい。 <おまけ>  なべを持ってきた慶應生に特別に配られるという、通称『 なべ二郎』です。今回は友人の配慮で“特別に”写真を撮らせてもらいました(笑)。 値段は1500円くらい・・・だったように思います。  え?誰が食べるのかって? そりゃ~ みんなで分けて食べるんです。流石に1人で食べる切る人はいません。 もっとも、私が撮影した隣では、なべを2人で囲んで食べている・・・という猛者もおられましたが。。
 今回は、この『べんてん』さんです。 先日、『 ババ行く?』という題で『べんてん』について触れさせてもらったのですが、この写真を撮ったのはそれより更に数ヶ月前、私が始めて行ったときのモノになります。 この『べんてん』、何とも高田馬場では有名な店らしいです。 そうは言わずとも30分ほど行列ができているので直ぐ分かると思います。 で、何が有名かって? はい。この『べんてん』さんで有名なのは『 つけ麺』なんです。 「美味い」ことは言わずもがな、その「量」についても半端ありません。  ちょっとブレてしまっているのですが、その量の多さ、分かりますでしょうか? これで「 中盛」です。 これより多いものとして更に「大盛」があります。 流石に「大盛」までは食べる自信がなかったので「中盛」でとどまってしまったのですが(それでも650kg!!)、それでも初回はかなり苦戦しました。 最初こそつけ麺のタレを味わっている余裕がある(私の好きな 和風ダシ!)のですが、最後のほうになってくると何がなんだか分からなくなります;  それでも何とか完食しました。 後に残ったものはと言えば・・・う~ん、そうですね・・・ 今すぐにでも何かが生まれてきそうなお腹の感覚・・・でしょうか(すみません;
珍遊度:★☆☆☆☆ こんな写真まで撮ってたのか! ・・・って今では思ってます㊦  「日本で一番甘い」コーヒーとして有名な『マックスコーヒー』。 その生産元を巡っては「千葉のモノ」「茨城のモノ」という争いがあるみたいですが、要するに「 チバラギのモノ」ということで納得しましょう;  裏の表示を見て、いかにマックスコーヒーが甘いかを確認することができます。 通常の缶コーヒーの主成分である「砂糖」「コーヒー」に加えて「 加糖練乳」が入っています。しかも、原材料名のトップに。 最近、『マックスコーヒー』の『マックス』が「 これ以上甘くできない」という意味での『マックス』のように思えてきました。。
珍遊度:★★★★☆ 今から3ヵ月ほど前、何気ない街中のゲームセンターでのことです。 とある奇妙なクレーンゲームを発見しました。  何でしょう、これ?  げ。 何だ、コイツら。 しかも『加熱調理して下さい』って(汗;  あの穴に落とし込むそうです。  あんな貧弱そうなキャッチャーで取れるんでしょうか?  はい。 コイツらが何かは、大体察しが付かれたかと思います。 これぞ、 イセエビキャッチャーです。 ゲーム代、1回500円です。 仮に取れたとしても余り食べたくありません。。 ・・・それにしても、こうやって見ると、イセエビって結構グロいんですね。 『伊勢海老』って漢字で書けばカッコいいんですが、その『伊勢海老』も “コレ”じゃな・・・(哀
 かつて東京駅地下の『ラーメン激戦区』(改装前)にあったラーメン屋で辛味噌ラーメンです。確か広島発祥だったと思います。 メニュー上は「50倍」までしか記載されてなかったのですが、店員に聞くところによるとどうやら「100倍」までチャレンジできるみたいです。ちなみに上の写真はそれに気付く前、「50倍」のものです。 印象としては「 むせる」というのがあります。それも「辛さ」等でむせるというのではなく、「油が多くて」むせるといったものです。正直、辛さを「50倍」としている割には余り辛くなく、それ以上に「油っぽい」というイメージの方が強いです。  一応、完食しました(なんかおどろおどろしくてスミマセン)。でも、やっぱり「辛い」のがキツいというよか、油っぽいスープを飲み干す方がキツかったです。「スープ飲み干したらスゴいカロリーなんだろな…」って(汗;  完食者の名前を店内で掲載してくれる…とのことだったので、折角の機会ですし、私も載せてもらうことにしました。 ここの店では「小さな板」に自分の名前を書き、店内で飾って置くというスタイルです。が、たまたま私が行ったときにはその「小さな板」が切れてしまっていたため、あとで店の人に書いてもらうことになりました。 ちなみに脇に『地下鉄に乗って』と書かれているように、その試写会を観に行った帰りに食べに行ったのを思い出しました。  これが『ばくだん屋』の外観です。 その後、『ラーメン激戦区』は大幅な改装工事を行ったようで、この『ばくだん屋』についても例外ではありません。私が再度行こうと思ったときには既に「改装中」でした。その後、復活したのかしてないのかについては今のところ確認しておりません。。
このカテゴリーでは全国津々浦々の“ラーメン”を扱っていこうかと思います。理由は今まで気まぐれに撮ってきた写真がパソコンの動作をノロくしているためです。 なお、ここに載せたからといって必ずしも美味しいとは限りません。また最悪の場合、健康に支障を来すおそれがあります。。 それでは、始めて行きます。  初っ端は激辛ラーメンです。もしかしたらどこかで「名前を聞いたことがある」と思われるかもしれませんが、『ラーメンランド』の地獄ラーメンです。 地獄の「1丁目」から始まり、「3丁目」からは料金増し、上限は店舗によって「50丁目」のところもあればエンドレスのところもあります。 価格は、今となっては定かではないのですが(上の写真を撮ったのはたぶん1年くらい前です;)950円くらいだったと思います。昔、私が家庭教師をしていた生徒宅へと向かう途中、立ち寄っていた経験があります。。 味の方は・・・といえば「辛すぎてわからんじゃないの?」と言われるかもしれませんが、 確かに辛いです。最初は。 でも、回数を重ねていくうちに、何となく「味噌ベース」であるんだな、ということはわかってきます。これが「醤油ベース」や「塩ベース」だったら、この辛さは引き出されなかったでしょう。「辛い」とは言っても、慣れればなかなかウマイと感じるモンです。舌の上でヒリヒリとする感覚が快感になってきます(嘘; 具は特に「多い」といった印象はないのですが、「山芋が入っている」という特徴があります。辛さで麻痺した舌の上ではちょうどこの山芋が“オアシス”代わりになります。 ちなみに上の写真は松戸店での最高の辛さ、「50丁目」です。  ここまで辛いのになってくると一週間に1,2度それに耐えられるだけの「下の辛さ」に慣れておく必要があります。ですが、当時(1年ほど前)は「間」を置いてチャレンジしたため、完食するのにかなり苦戦した思い出があります。 最大の失敗は、完食した後に写真を撮りそびれてしまったことです。今となっては食べる気力も体力もありません。。
パソコンにある古い写真を削除していくため、定期的に載せていきたいと思います。 今回は、うまい棒(就活編)です。 大昔、「うまい棒をどうぞ」という記事で書かせていただいたことがありましたが(詳細は ★うまい棒をどうぞ★を『検索』で)、その続編です。  配布されていたのは去年の5月ごろでしょうか; 確か、サラダ味だったと思います。もしくは、食べずにどこかへ消えてしまったのかもしれません。 いずれにせよ、チラシのみ配るよかは効果的です。しかも、うまい棒自体が企業の宣伝をしているのは余り見かけたことがありません(単にそこら辺で売ってるうまい棒をくっ付けて配っているようなのは結構頻繁に見かけることはありますが)。  でも、もらう側はうまい棒が付いてるとちょっと恥ずかしいですよね。ある一定の上流志向を持っている人ならまず受け取ろうとは思わないと思います(笑)。 斯く言う私も「ハラが減っていた」という理由より「うまい棒の記事を書きたかったから」という理由で戴いたわけですが(上流志向はない)、書くのがこの時期になってしまってはな・・・。 【★うまい棒をどうぞ★】
珍遊度:★★★★☆ 今からおよそ一年前。 友人Kによって御徒町から秋葉原へと向かう途中で異変が発見された建物です。  どうです? 今にもズレ落ちそうです。  それにしても何故、このような不均一な建物を“くっ付けた”かは不明です。 もう少し、土台をしっかりしてあげたら良かったじゃないの・・・ とも思いますが、何かこうせざるを得ない差し迫った事情があったのでしょう。 それにしても、全住人(?)が(此方から見て)左側に移動したら、間違いなく傾きそうですね。。
ラストです。 他にも色々と回ったのですが、最後の2枚は『大覚寺』でのものです。 ・・・と言っても、到着時間が遅すぎたため、寺の中を参観することはできませんでした。 なので、ちとお庭の方を・・・ ここでの名物は『名古曾の滝』だそうです。 「なこその滝」・・・か。どこかで聞いたことがあるな・・・ 滝の音は 絶えて久しく なりぬれろ・・・ ありゃ?  当日は日が傾いていたこともあり、私のほかはドッグランをしている人一組以外、誰もおりませんでした。 旧跡とはここまで寂しいものなのか・・・ 当日はかなりの強風が吹き荒れていました。 上の「なこその滝」へと向かう道の途中、モミジの葉に目潰しを食らわされ、痛い思いをしました;  遂に「名古曾の滝」到着です。 「本当にここが名所か?」を思わせるほどに人気がありません。 猫一匹が名古曾の滝の脇から駆けていったぐらいです。 さて、ここで再度「百人一首」のご登場。 『 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ』(大納言公任) 滝の音は 滝の流れる音は 絶えて久しく なりぬれど 絶えてから久しく経っちゃったけど 名こそ流れて (「名」・・・この場ではこの滝に纏わる名声のこと) 名声は今日まで流れてきて なほ聞こえけれ やっぱり聞こえているんだなぁ(しみじみ) 。 要するに、実際の滝の水は途絶えてしまったけど、滝に関する名声自体は今でも“流れて”いるんだよ、ということです。 正岡子規とかがいたら「全然、写実的でなくナンセンスだ」と痛烈に批判されそうなところですが(汗;)、いずれにせよ「言葉遊び」が混じっているわけです。 つまり、現代でいれば「洒落」のようなものですが、私自身は今になってはあまり面白いとは感じません(初めて聞いたときは「うまいな~」と思ったりもしましたが)。何故かというと、やはり、その滝自体は、もはやもう存在していないからです。 実際に公任が生きていた時代であれば、それなりに「名古曾の滝」に関する名声も高く、“趣深い”と感じる要因もあったのでしょう。しかし、現代にあっては滝の存在はおろか、「名古曾の滝」に関する名声も殆ど(百人一首等和歌に親しんでいる人以外は)薄れきってしまっています。 和歌が真に評価し得る点といえば、やはり「現在でも如何に共感できるか」、すなわち、「 大昔であっても今であってもどれだけその根となる『実感』が変わらずあることを確認することができるか」、が大きなポイントを占めているだろうと私自身は思います。 「懐古趣味の歌」であれば「懐古趣味の歌」であって十分味わい深いものとなるのですが、奈何せんこの和歌が歌われた時代と現代とでは余りに「懐古」するだけの地盤が違い過ぎてしまっています。 今や“名声すらなくなった”滝の“跡”を見るのは何とも悲しいものです(往時と比べ、現在の「名古曾の滝」を観に来た人の「驚きや感嘆の様子の違い」を思うと)。 ちなみに、「名古曾の滝」の「名古曾」の由来は、 この歌の「名こそ」から始まったとされるようです。公任が歌う前から「名古曾の滝」があって公任が「名こそ」と掛けたのではなく、この歌の「名こそ」から滝の名称の「名古曾」へと派生していったわけです。 が、しかし、それも和歌が流行っていた時代のこと・・・・・・ それにしても「嵯峨」一箇所を訪ねただけで百人一首に詠まれた名所、2箇所を観て回れたのは何とも得した気分です。。 何だかんだでその後、天竜寺に入れないことを確認しつつ、渡月橋の袂でボーっとしたり、ゴマ餡や栗餡が入った八つ橋を土産に買ったりしてました(ゴマ餡は意外と好評)。 そして、市バスで京都駅まで戻り、夜行バス発車の時間まで駅構内を徘徊したり、三省堂で本買ったり、構外の喫茶店コロラドに入ったりしてました。 京都駅を歩き回って感じた事は、食う場所が少ないということですね。少なくとも私のような激貧旅行をしている者にとっては、理想額より一桁違いました。 ・・・それと、後々になって気付いたのですが、今回の3日間の旅行で何気に「京都」「大阪」「神戸」の三都を歩き回っていたみたいです。 昨日、今日、明日~♪ 変わりゆく私~♪ (笑 少なくとも関東のどの都市にもない歴史に裏づけされた三都の活気・力強さを感じました。。 【西へ 完】
 関西旅行の最終日。 特に何もすることは決めていなかったので、念願の嵯峨・嵐山旅行に出かけることにしました。 今回も「行き」で難波~淀屋橋まで歩き、更に京都駅~四条大宮まで歩いたので、着いた頃にはお昼を回っておりました。 そんなわけで厳選された2箇所を写真に収めてきました。 まずは、小倉山の二尊院さんです。 残念ながら境内は有料だったので入場はできなかった(!)のですが、小倉山の雰囲気だけでも摑めれば、と門をバックに写真を撮ってみました。(ん~、でもあまり写ってませんね;) この小倉山、どこかで聞いたことがあるな~と思ってたら、 「小倉」百人一首の「小倉」だそうです。 1235年の5月27日、 小倉山にあった別荘の屏風に「 『古来の人の歌各一首』を呼んで欲しい」との要請を、宇都宮頼綱から藤原定家に要請したのが始まりとされます(百人一首の撰者、藤原定家の『明月記』による)。 そこで、定家は当時のセレブのために、「百人」を「一首」ずつ撰歌していったわけですね(厳密には最後の方の歌に若干の相違があるみたいですが、まあ置いときましょう)。 そして、それと関連して、定家が小倉山の美しさを讃えた歌が欲しかったからかどうか、百人一首に選ばれた歌の中に以下のような歌も含まれています。 『 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ』(貞信公) 小倉山 峰のもみぢ葉 小倉山の峰(・・・すなわち、山頂ですね) にあるもみじの葉よ 心あらば (「心」とは風流を解する心、すなわち) 紅葉が人間と同じような風流を解する心を持っているならば 今ひとたびの 今一度 みゆき待たなむ (「みゆき」とは人の名前ではなくて「御幸」と書き、天皇の大掛かりなおさんぽのことを指す) 天皇のお散歩を待ってくれ 残念ながら、風流を解さない私は山頂にあるもみじの葉を写真に収めて来なかった(どれが「峰」だか分からず、また紅葉らしい木はなかったため)のですが、いずれにせよここが1000年以上も前から愛され続けた場所である、という点は変わりません。当日は小倉山が霧がかっていたこともあり、より幽玄なカンジの雰囲気でした。 それにしても「京都旅行」で同時に「百人一首」もお勉強ができるとは、正に“一石二鳥”ですね。。
 精根尽きはてて、途中から遂に嵐電(京福電気鉄道)を使ってしまいました。 本当は嵯峨辺りまで行きたかったんですが、ちょっと無謀でしたね。。 またの機会、ということに。。。 「嵐電」のイメージは ①運賃が一律二〇〇円だった。 ②午後五時半を過ぎると周りが暗くて何も見えなかった。 ③太秦広隆寺駅への到着メロディーが『水戸黄門』だった。 ④その太秦広隆寺駅と最初の一,二駅以外は熟睡していて記憶にない。 ⑤最後になってそれまでずっとお伴していた傘を置き忘れてきた。 といったところでしょうか。。 その後、石部さんは終点・四条大宮駅からオシャレな四条通を走って三条京阪へと消えて行ったとさ。。(以下、京阪終点・淀屋橋から南海始点・難波まで走ったのは同じ)
 はい。一気に飛びました笑 北野天満宮です。 あれだけ「受験の神様」として有名な場所ですが、実は今まで一度も訪ねたことがありません。 しかも、よりによって受験もクソも何もない状況です。 お賽銭も5円玉がなかったので「10円」で済ませました。 二礼二拍手一礼も一礼だけしかしてません。 そしてそんな流れの中、お願いしたことは・・・ 充実した人生を送れますように。。 さて、学問の神様はどこまでこの願を聞き入れてくれるでしょうか?
 道の途中に『私設図書館』なるものを発見しました。 なになに・・・ 「図書館」は、①「その所蔵する万巻の書物を広く一般の閲に供」すという目的のほかに、②「読書・勉学・思索する場を提供する」ことも目的とするものである・・・か。 普段、「図書館」といえば①の面ばかりを思い浮かべがちですが、②の目的にも焦点を当てたのは画期的ですね(いや、今更改めて言うまでもないか;)。 確かに「私設」ということもあって、有料ではあるけれども〔1〕開館時間を深夜に及ばせることができる、〔2〕交通至便の街角に位置させることができる、という点で公立の「図書館」に勝るわけです。 流石、勉学に熱心な関西なだけあります。実際、私が覗いてみたときも利用者がそれなりに入っていたように思いますし、京大の近くではあります。 あ,そうそう。 関西の電車乗って気づいたのですが、関東に比べマンガやDSを車内で読んでいる人を面白いぐらいに見つけることができ「ません」。その反面、車内で本を読んでいる人の割合が多いように思います。 関東では車内で宣伝が多いやら人が多いやらで“落ち着ける”環境が少なく、DSでもやるしかない・・・ことが影響しているのではないでしょうか?
 昼食はここ、『おめん』です。 私のオススメのうどん屋で、慈照寺(銀閣)の近くにあります。。 ここのうどんをゴマ一杯で埋め尽くして食べるのが、私の好きな食べ方です。 しばし、こちらで腹ごしらえをした後、再び出発です。
 水路閣から哲学の道に到るまで、色々と記載したいことがあったのですが、 例の事情により飛ばします。。 さて、ここが『哲学の道』です。  う~ん、オレは京都で一体何をしているのだろうか? 京都のどこへ向かおうとしているのか・・・ そもそもどうして京都に行きたいと思ったのだろう?(笑)  道の途中、人だかりができていたので、頑張って撮ってみました。 この鮮やかさはケータイで撮っても十分にわかりますね。 ということは、現物をみればもっとスゴイわけです。。 これも哲学の道の一つのポイントを成しているのでしょうか??
ハプニング発生です。 このモダンな建造物の写真を撮った瞬間、ケータイに『 空き容量がありません』との文字が(今までどれだけムダに写真を撮ってきたかは、これまでの記事を見るからして明らかでしょう。これでも削ったんですよ。だいぶ;)。 ・・・なので、 これからの行程は非常にごく簡単にコンパクトに押さえてあります。 いずれにせよ、このモダンな建造物、『水路閣』というみたいです。 金閣でも銀閣でもありませんよ。 水路閣です。 さきほどの蹴上発電所に続き、レンガ造りの建物が京都に存在していることに嬉しく思いました。 「古都」のみならず、近代化の過程をも呑み込んでいる京都。。  このように橋の穴から写真を撮ることがブームなようです。 この水路閣、「何でこんな建造物を建てたか?」というと、さきほど『蹴上発電所』でも出てきたとおり、琵琶湖疏水を通すための設備だったそうです。 つまり、水を京都市内に流すことで発電をしたり、飲料水を供給したり・・・と京都の近代化に貢献したわけです。( 『ウィキペディア 琵琶湖疏水』参照) さらに加えてひとつ、さきほど『 西へ(2日目)【8】』の記事で紹介した「なぞの線路」については、この水を運搬するため傾斜があるところに建てられた『 インクライン』と呼ばれるものの遺跡だそうです。 こんなところで連関し合ってたなんて、なんかちょっと得した気分です。。
 世にも奇妙な“ 黄色い” 紅葉です。 私自身、 紅葉(もみじ)に「 黄色」で移り変わる種類のものが存在することに初めて気が付きました。(結局、南禅寺の庭を見て回ることにしました;)  ホントはこれ、生でみると、もっと感動的なのですよ。  あの落ち葉の膨らみから、人がバサッと出てきたりしないのでしょうか;  南禅寺の裏門です。 相変わらず人々に愛されてます。。
 なんだか色々な選択肢があるんですね(笑)。 とりあえず、当初は南禅寺を「通過」して銀閣寺方面へと向かうことを目標としました。  なので、南禅寺は上の一枚だけにして、先へと進もうとしたのですが・・・   紅葉の美しさに負けました(笑)。 上は、その鮮やかさを写真にとどめようとしたのですが、やはりケータイのカメラでは限界がありますね。 というより、あの美しさは被写体として収めることが可能なのでしょうか。
 仁王門通りから南禅寺へと向かう道です。 こころなしか、この“うねり具合”(笑)がなんとも良い味出してます。  さて、南禅寺前に到着しました。 ご覧の通り、観光客らでごった返しています。流石、高校のとき必死になってゴロで覚えた「京都五山」で“別格”とされただけあります。これでも平日の月曜ですよ。月曜。。 愈々、この門をくぐって中に入っていきます。
 行く手の左側に“モダン”な建物を発見しました。 レンガ造りの建物。 最初は「これぞ天下の京大か!」とも思いましたが、「こんな場所だったかな」と少し「?」も。  この刺々しいのの錆び具合で相当前の建物だ・・・というニオイがします。  使われてるのか使われてないのかよくわかりません。  こんな梯子、誰が使うんでしょう?(笑) 後に調べて分かったのですが、実はこの建物、『蹴上発電所』という建物らしいです。 日本最初の水力発電所で1891年完成、「琵琶湖疎水」を利用しているとのことです。 ムチャクチャ古くて趣がある建物の上に、日本初の水力発電所! これが例えば新潟とかにあったら、観光名所間違いなし!です。 こんなスゴイ建物が“さり気なく”存在している時点で、「京都のスゴさ」がありありと感じられます。  何だかんだで真っ直ぐには行けないので、ここで左にカーブ。 「仁王門通り」というらしいです。  左側にカーブしたこの通りの右側には何やら線路らしきものが。 何でしょう?地下鉄東西線かな??  行く手の標識には『南禅寺』『銀閣寺』の文字が。 取りあえず聞いたことがある寺だし、ここら辺目指して歩こうかな・・・(完全にノープラン)。
 へぇ・・・先は遠い・・・ でも、この落ち着いたというか、すっきりしたというか、この感じが好きです。 心なしか周りの建物も、落ち着いてるように(茶など地味な色)見えます。  なんじゃ?!この建物は!! と思い、後で調べてみたのですが、どうやらこれ、ミヤコホテルというホテルみたいです。 近くに行けばその壮大さがよくわかります。 まあ私が行くにはあと5年くらい早そうですね。。
  京都の小学校です。 最初はスゴイかな~と思ったのですが、嵯峨小学校(3日目に行ったところ)を見てからはさしてそうは思わなくなりました。 それ以前に、今どきの小学校はみんなこんな感じになっているのでしょうか? 「小学校」って言えば、人数が多くて冬の寒い中、プレハブ校舎で・・・  栗田神社だそうです。とくに京都の中ではフツーの神社なのですが、中学校のころに「栗田」という名前の先生がいらっしゃったので。  林美術です。同じく小学校のころ「林」という方がいらっしゃったからです。。 おォ!なんたる偶然!!
 阪神です。   何気ない町角の風景。っま、「京都らしい」というわけでもないのですが。。  知恩院さん発見です。ただ、今回は寄りません。。  オレはどこへ向かおうとしているのか・・・(爆)
この写真↓何かおかしいとおもいませんか? そう。デイリーが赤くなってるんです。 おまけにもう一丁↓  見えにくいでしょうか? マクドの赤が少し茶色を帯びているのです。 「京都だから」という配慮が働いているのでしょう。 あと、色を変えることによって、或いは色を変えるだけの「特別な町」という意味も込められているのです。 逆に言えば、東京なんかは色を変えるに値するだけの“町並み”なんてないのかもしれません。 町中を歩いていても、東京と比べ「どことなく空がすっきりしているな~」という印象があった(建物の高さ制限があるのでしょう)のですが、京都にはまだ守るべき“町並み”が残されている・・・のかもしれません。。
 道を進む途中、さりげなくこんなプレートが残ってありました。 これって・・・大阪万博のですよね? となると、今から37年前?! こんなものがフツーに飾られているあたり、「さすが京都!」といったところです。
 さ~、三条京阪到着です! 壁に見えるは参勤交代の絵でしょうか?  地上に出ました。正面では「寛政の三奇人」高山彦九郎が背を向けてお出迎えです。確かこの人、皇居に向けてお辞儀してるとか何だとかだったよな・・・  三条大橋です。2日目はここを通りませんでしたが最終日(3日目)にはここを通って京都駅へと向かいました。 それにしても、すごい烏の群れですね。ここが「烏丸」だったらよかったのに(汗;  さ~いよいよ、この道を歩いて行きます! 確か東大路通だったかな?(三条通みたいです;2007年12月13日19時08分05秒追記)  ま~「伏見」と書かれたところがいかにも「京都っぽい」です。 当たり前っちゃ~当たり前ですが。。
村上春樹 著、2007(平成19)年12月1日、新潮文庫 徒労に終わった大学院受験も一区切りついた日、 「小説を読みたいな~」と思ったいたところ、とある友人Fが「村上春樹なんかいいんじゃない?」と勧めてくれました。実は、今回のこの『東京奇譚集』についても、その友人Fが勧めてくれたものです(私は何も考えず即買いしましたが)。そんな次第(どんな次第だよ!)で村上春樹の世界が私の目に飛び込んでくることとなったのです。どうでもいいのですが、先日どこかで『東大生協書籍売上順位』で第一位の有斐閣六法に続いて第二位にランクインされてました。「東大だから」というわけではないのですが、それだけ村上ファンが多いのだなということを教えてくれます。 思えば以前、村上春樹の小説を読んだことがあったろうか・・・。限りなく透明に近い何とかとか『あの金で何が買えたか』とか・・・ごめんなさい。村上「龍」でしたね。いつも間違えるんです。一応、村上「春樹」で私の本棚を覗いてみたところ『風の歌を聴け』という本が置いてあります。たぶん大昔に読んだんでしょう。でも、全然覚えてません。手にとってパラパラとめくってみましたが、全く思い出せません。アノ頃は小説はおろか本を読むこと自体億劫だったので、取りあえず何か薄い本でも読めればいいや・・・という気持ちで読んだんだと思います。 そんなわけで実質的には村上「春樹」に触れるのには今回が初めてです。というか、小説読むの自体、私にとっては新たな試みです。以下、拙い感想録を書いていきます。もちろん、メモみたいに走り書きになったり、殴り書きをしたり、箇条書きをしたり・・・とよくわからない文章形式になることもあるかもしれませんが、これを通じて少しでも「本を読む姿勢」が身に付けばと思っています。ちなみに、私の小中学生の頃は『課題読書』以外の本を通しで読んだ記憶がありません。なので、読解力のなさについてはご承知のほどを・・・。。 『東京奇譚集』 一瞬、「奇譚」って何だ?と思いましたが、広辞苑によると「世にも珍しく面白い物語。言い伝え。」とあります。「なるほど、東京の奇妙で面白い話か~」という気分で読み進めていきます。 【偶然の旅人】 初っ端から「 僕=村上はこの文章の筆者である。」と始まっています。そして「 どうして僕がここに顔を出したかというと・・・」という語り口で、物語を始める前に筆者自身の「 不思議な出来事」について語られていきます。今まで読んできた本と比べれば「何ともケッタイな始め方だな~」と思いましたが、これが村上春樹の持ち味なのでしょうか?なんてことを考えつつ読み進めていきました。 話の内容は、簡単にいえば「偶然」についての話だと思います。だけど、その「偶然」も単なる「偶然」ではなくして、本文中に出てくる「彼」(ピアノの調律師)にとって「 本来の自分に戻る」ことができるような「偶然」・・・すなわち、恰も初めから彼にそうなるように仕向けられた運命(その意味では「必然」とも捉えられる)とも言えるような、何とも奇妙な「偶然」です。 この本を友人Fから勧められたと同時に、もう一つ『 偶然のチカラ』(植島啓司著、2007年10月22日、集英社新書)という本についても勧められました。そのときは私にバイトの金が入ったときでもあり、財布の中がホクホクとした状態だったので、何の気もなしに「とにかく本が読めればいい」との一心で2冊購入しました。その文中、興味深い指摘がありました。 ――― この世の出来事がすべて孤立してバラバラに起こっている(=偶然) と考えるか、どれも相互にに緩やかに結びついて存在していると考える(=必然) か、どちらをとるかが問題なのである。――― 正直、『偶然のチカラ』の内容については、私が固陋、或いは読解力がないからかで一部理解し難い部分があったのですが(当初は「 神」という言葉が出てきた時点で毛嫌いしましたが)、少なくとも「世の中の出来事を何らかの必然の流れにある」と考える視点は大切であるように思います。『偶然のチカラ』では「世の中、どんな出来事も偶発的なものと捉える傾向にある」という前提で話が進められていたのですが、正直、私自身にとっては物事の流れについて「何か原因はあるんだろうな」程度には考えていたものの、ここまで突っ込んで考えたことはありません(汗;。いずれにせよ、「偶然にも意味づけができるもんなんだな」と。 話を戻しまして、「彼」にとっては二つの大きな転換期があったように思います。それは(1)ピアニストになることへの断念,(2)火曜日、彼女とのカフェでの出会い,の二つです。メインは(2)にあるように思うのですが、一応、彼の「生き様」という点では(1)を含めてもいいのだと思います。そして、この二つに関係することは、何れも「偶然」で繋がっているのではないかという点です。(1)では「偶然」についての明確な描写はありませんが、おそらく彼が「大学に入ってしばらくして」いくうちに、何らかの「 二流のピアニストになるよりは、一流の調律師になった方が僕自身のため」と気付く契機があったのでしょう。もしかしたら彼自身にしてみれば物の成り行きだったのかもしれませんが、そのような考えが生じる前と後とではやはり「偶然」といえるようなものがあると思います。(2)については、彼女のほくろの位置・乳癌持ちが「偶然」にも姉のそれと一致しています。そして、これら(1)(2)を通じて「自分の本来の姿」に気付いていっているのです。 村上春樹自身は「 個人が特定されることを避けるために、いくつかの事実に変更を加えた。しかしそれ以外は、彼が物語ったままになっている。」と飽くまでも頑なに現実の話であるとしていますが、率直なところ「ホンマかいな~、やっぱ小説家が書いたからじゃない」という感想を抱いてしまいます(笑)。でも、これらの経験を踏まえた上での彼(ピアノの調律師)の「 かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、かたちのないものを選べ。それが僕のルールです。」という言は、妙に説得力を持ってきます。彼自身にしてみれば正に「偶然のチカラ」による恩恵を被っているのです。そして、村上春樹自身も「 少なからざる数の不可思議な現象が、僕のささやかな人生のところどころに彩りを添える」として・・・。 いいな~、自分もこんな神秘的な体験を通じて「偶然のチカラ」を被りたいものだ。いや、待てよ・・・。よくよく考えればFが教えてくれた『東京奇譚集』と『偶然のチカラ』との共通性・・・これこそ自分の読書姿勢に一つの道標を示してくれるものだったんではないだろうか!? ※以下、追加形式で他の『東京奇譚集』に載せられた話の偶感を掲載していくつもりです。もしかしたら書けないかもしれませんし、書けたとしてもここまで長く書けないと思います(汗;。そんなつもりで、ゆったりと「偶感的に」読書生活をスタートしていければと考えています。 (2007年12月12日11時36分18秒記す) 【ハナレイ・ベイ】 一言で、この話で印象付けられたことは「なるがまま」ということです。このことは先ほど紹介したように同じく『 偶然のチカラ』でも強調されています。正直、私自身、なかなかこの意味を実感することができず苦しんでいる節があります(実感している人からすれば、正に「なんと憐れに・・・」という状況です)。おそらくこの『偶然のチカラ』、村上春樹と共通する部分がある、という点でFが勧めてくれたものなのでしょう。いずれにせよ、バックにある考えが「 神」であるのかもしれません。つまり、全ての物事は因果の流れの中にある。しかし、中にはどう働いても変えられないものがあり、それについてアレコレと思索を巡らしてもムダである。それどころか有害ですらある・・・という風に。その結果、「 公平であれ不公平であれ、資格みたいなものがあるにせよないにせよ、あるがままに」受け入れよ、ということになるのです。このことは(1)日系の警官が「 息子さんは大義や怒りや憎しみなんかとは無縁に、自然の循環の中に戻っていた」と言っていたことや、(2)黒髪が口にした「 でもさ……、うーん、まあ、鮫にもいろいろあるからさ」との言葉、(3)ずんぐりの「(サーフィンは) たまに週末にやってますが、就職のこともありますし、そろそろ足を洗わないと」「 あいつ(長身) は超気楽なんですよ。就職の心配ありません。親は赤坂でけっこうでかい洋菓子屋をやってんです。うちを継いだらBMW買ってくれるんだって。いいっすよね。俺の場合、そうはいきませんから」という言葉に象徴されているように思います。 いずれにせよ、最後サチが「なすがまま」に過ごしていったように、真にその境地に達すれば片脚の日本人のサーファーが、サーファー二人組(ずんぐり・長身)の前に現れたとしても、至極「自然」なものとして捉えることが可能だったのでしょう。我々の社会は、あまりにもこういった心霊現象(?)に対して「意味づけ」することを忘れてしまっているのです。 でも、残念ながら、そのような価値観(日本社会の)に浸ってしまった私自身にとっては、どうしてもそのような目から物事を見ることができません。その意味では村上作品を真に理解するのは難しいのではないか、と。サチが途中、「 たぶんこういうのが血筋なんだろう」とボヤいてた場面があるように、こう思えるか思えないかも結局は「血筋」によるところが大きいのではないか、とさえ思ってしまうのです。かつて『ケ・セラ・セラ(Que Sera Sera)』という歌がありましたが、その意味が実感できなかったのもこういう側面に起因しているのかもしれません。 では、何故、日本社会・日本人が「あるがまま」の価値観を受け入れられないのか、それは個人が自由奔放に生きられない社会,すなわちある狭い「世間」による「個人への呪縛」があまりにも強かったせいではないでしょうか(「世間」が今後、徐々になくなっていく,薄くなっていくにしても)。つまり、科学的・合理的思考から外れた個人を異端視する傾向・狭い社会(世間)が欧米社会に比べて強かったのではないでしょうか。阿部謹也先生の言葉を借りると(汗;(←すみません、完全に大学院の受験勉強、大学の授業で毒されてしまっています。最後のひと段落はくれぐれも気にしないこと。) (2007年12月12日13時10分13秒追記) 【どこであれそれが見つかりそうな場所で】 一言で「謎が多い」文章です。特に終わりの箇所で触れられた「私」の捜し求めているものとは何なのかが気になって仕方ありません。「 ドアだか、雨傘だか、ドーナッツだか、象さんだかのかたちをしたもの」・・・。どれをとってみても共通性があるように思えません。考えれば考えるほど神経衰弱に陥っていきそうです。 ところで、私が失踪した「夫」を調査するため階段で出会った人々がいました。その中で、「私」が火曜日に出会った「一人の老人」の言葉が気にかかります。「 雑事が発生するおかげで、けっこう滑らかに日々の時間が過ぎていきます。身体も動かしますし、余計なことも考えずにすみますし」「 パスカルの説とは相反するようですが、私たちはあるときにはむしろ自らを生きさせないことを目的として考えているのかもしれません。ぼんやりする――というのは、そういう反作用を無意識的にならしている、ということなのかもしれません」。つまり、この老人は「考える」ことは害である、と考えているらしいのです。 そして「人間の思考」は水の機能に似ており、ある場合には「人間の思考」が最短距離を作り出すことさえある、としています。この点、何だか人間の思考回路から外れた「閃き(≒直感)」が存在することを示唆しているようにも思えます。加えて「 ときとして私たちは言葉は必要としません」「 しかしその一方で、言葉は言うまでもなく常に私たちの介在を必要としております」とも述べており、「言葉だけでは通じないもの(≒直感)」の存在を示唆しています。つまり、従来、資本主義社会が当たり前のものとしてきた「合理的思考」過程だけでは捉えきれない、新たな「直感が支配する領域」について筆者は仄めかしているように感じるのです(異端説であるのは重々承知の上で)。そう捉えれば、階段で金曜日に出会った小さな女の子との意味不明な会話(小さな女の子は本当にこれを理解しているようで怖い)も分かるような気がしますし、「私」が探し求めているのがドアだか、雨傘だか、ドーナッツだか、象さんだかのかたちであっても良いような気がします。「夫」が一般的合理的な思考から外れた行動をとったのも「現実の世界」とは別に存在する「直感」が起こしたものだ、と考えればそれなりに説明できるようにも見えます。 そんなこんなで一つ思うのは、本文の面白みは①「私」が探し求めていたもの、②「夫」が失踪した原因、等について色々と「考え」させることによって、「考える」ことによる弊害を我々が体感させることに求められるのではないか、ということです。このことは、題が「どこ」「あれ」「それ」と非常に曖昧であることにも象徴的です。そして、この話を読んだ直後にやって来る「 ぼんやりとする」反作用は恰も老人が話していたことを我々に呼び起こしているのではないか、とさえ思うのです。こう考えるとちょっと面白くありません?(笑) (2007年12月22日17時46分39秒追記) 【日々移動する腎臓のかたちをした石】 これまた不思議な話です。そして、私の読解力の無さを尽々と感じさせられます;本文で気になった部分はというと、やはり淳平の父親が言い放った「 男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない。それより多くもないし、少なくもない」という部分です。その内の一人目は淳平の中で「 本当に意味を持つ」と言い切られているので、まずこの女性はその内の一人としてカウントしても良いでしょう。残るは二人です。 そして、キリエの登場です。果たして、彼女は淳平にとって“二人目の女”だったのか?まあ「そうでない」とすると、この話の意味自体がなくなってしまうでしょうので「そうである」とします。では、キリエは淳平にとってどういった点で“二人目の女”だったと言えるのか?後半部分、淳平がタクシーに乗っている際にキリエらしき(?)女性の声を聞きます。一応、この点でも「敢えて記述した」ことを考えれば、「キリエだ」としても差し支えないでしょう(色々考えられる可能性を限定し過ぎて、すんません;)。そして、このキリエさん、どうやら「高い建物と建物とのあいだにロープを張って、その上を歩いて渡る」ことが「 天職」であるらしく、それは「(人間である男の) 誰かと日常的に深い関係を結ぶということが、私にはできない」ものらしいのです。つまり、天職を自分にとって唯一愛することができる対象と考えているのです。このことは「 職業というのは本来、愛の行為であるべきなんです」とのキリエの言にも表れています。 再度戻ります。では、そんなキリエが何故、淳平にとっての“第二の女”足りえたのか?ここからは私のぶっ飛びすぎた考えであることをご承知下さい。まず第一に現れた女は、本文中にもあるとおり「親友と結婚してしまった女性」です。そして、第二の女は話の筋から「キリエ」でしょう。では、第三の女は…?この点、ちょっと反則かとも思うのですが、「大編小説を書くこと=天職」だったのではないでしょうか?キリエも「天職」を愛の対象としていた…ことを考えれば、何も「 女」が人間である必要はないのです(センター試験なら先ず真っ先に消去される肢だな;)。勝手な推測なのですが、この①一般女性→②キリエ→③天職という流れは、①人間→②啓示者→③神へと昇華していく過程に思えてならないのです。だとすれば、とっても巧妙だと思いません? キリエと別れた後、「 淳平はよく彼女のその言葉を思い出した」とあることに、「 一度その集中の中に入ってしまえば、そこには恐怖はありません。ただ私と風があるだけです」というのがあります。この「 集中的に多くの短編小説を書いた」頃から淳平は天職へと目覚め始め、キリエと同じようにそこへ突き進む恐怖心も消え失せていったのではないでしょうか?「天職」が第三の女だとすれば「 それは常に最初であり、常に最終でなくてはならないのだ」と言っている意味も分かるような気がします。つまり、『 日々移動する腎臓のかたちをした石』が淳平にとっての「最初の」大編小説になったわけです。そして、彼(淳平)の小説のタイトルにある「腎臓石」が最後にいなくなってしまったのも、腎臓石が彼女(女医)の全うすべき職分について啓示する役割を終えた…からなのではないでしょうか?(超異端説) はい、ごめんなさい。普通に理解すれば(私が思う“普通”です)キリエが教えてくれたことはそこにあるものを「 そっくり受容しようという気持ち」であり、そこにあるものを変に疑ったりすべきではない、ということだったんだと思います。だからこそ、彼はそこにあるものをありのまま受け容れていく気持ちが整ったのでしょう。そして同じく小説中の女医が腎臓石が二度と帰ってこないことを悟ったのも、彼女がありのままに受け容れる姿勢を整えたからだ、と言えるでしょう(一応、二ブロック前の「腎臓石が所定の位置に収まっていた」ということも、この時点では女医がありのままに受け容れる姿勢が整っていたなからだ、と言えるでしょう)。 (2007年12月23日22時29分30秒追記)
 さあ、出発です。 ①激安旅行企画∧②宿は南海沿線∧③京阪の株主優待券を用意 なので・・・ 地元の人なら察せられるでしょうが、 歩きましたよ。 難波から淀屋橋まで しかも、帰りも含め往復。。 難波→心斎橋→本町→淀屋橋の順で 各10~15分くらいだとして、 ざっと 40分くらいです。 しかも、帰りも含め往復。。 残念ながら写真は撮り忘れてしまったのですが、また何かの機会で訪ねるでしょう。 そんなこんなで京阪淀屋橋駅から「特急」に乗りました。 車掌さんに「特急って特別料金払わなくてもいいんですよね?」 と聞いたら、怪訝そうな顔してらっしゃいました(汗;
 おぉ! 帰ってくるまで気づきませんでしたが、神戸第一発目の写真です。  六甲道駅の近くにあったドムドムバーガーに入りました。 前、自分の家の近くにもドムドムバーガーがあったのでちょっと懐かしくなって入ってみたまでです。  なになに・・・ ドリンクバーが210円だと?! もしこれが本当なら3時間でも4時間でも粘ったるのに(オイ!)。  一応、これが証拠写真。 不本意にもこれが神戸に行った最後の写真です。 結局「神戸らしい」ところは何一つ写してませんでした。 まあ、これも「神戸の一部」っちゃ~「一部」なわけですが。。 (2日目につづく)
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