いつもの淀屋橋の喫茶店。
いつものようにいつもの席に着く。
しばらくしてから前のテーブルに座っていた短い金髪の男が
自分の後ろの席に着いた。
一瞬、目が合う。
「なんだ、この人?」
いつもの店内ならあり得ない光景だ。
人を待っていたらしく、その金髪の男には不釣合いな
普通の女性が座った。
そこから先、しばらくイヤホンを付けて音楽を聴いていたが、
いったん手洗いへと行って帰ってきたときに気がついた。
私 本当は目撃したんです・・・
私 驚いてしまって
助けもせず叫びもしなかった
ただ恐くて逃げました
私の敵は私です
「日常消耗品っていつでも使うからね」
「紀伊国屋には○○○○○の成功者が出した本がいっぱいあるよ」
「そんな反社会的な仕事やめとけ」って、
真に受けてなくても、あとを追って言っとけばよかった。
相手も仕事は仕事だろうけど、
いやらしさが滲み出ている。
「そんなオドオドせず、もっと真っ当な仕事しろよ」
確かに、違法ではない。
もしかしたら新しい刺激を求めるのにはいいかもしれない。
・・・でも、どこかやっぱり間違ってる。
人は“手段”にしか過ぎないんだろうか...
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人はどういうときに怒りを感じるのだろう?
実をいえば、今、人格崩壊ともいえるストレスを抱えている。
自分の寮でも過去、部屋の壁をぶちぬいたり、何かを壊したり・・・という
ケースは、先人の中で少なからずあったみたいだが、今回の自分に
降りかかった事態はそんな気持ちがわからなくもないほどだ。
元々、人からの罵詈雑言に対するストレス耐性はあったほうだろう。
聞かなければいいだけだから。
だけど、言葉だけでなく、それが金にまで絡むと話は別。
働けど、働けど、上司からの「おごってくれよ」との不本意な出費。
ここ1カ月、そんなこんなで2~3万円の不本意な出費はしてるだろう。
そして、今日は韓国料理屋で2人分を奢って1万2000円の出費。
貯まるはずの金も貯まらない。
そして、挙句の果てが「お前がいると、助かるわ」。
「ふざけんな」。
「普段は1万8000円だから安い方だろ」。
「いい加減にしろ」。
もともと「愚痴は言わない」をモットーにしてきたけど、
今回限りはこう(ブログに書く)でもしないと、
ストレスがごまかしきれそうにない。
今にもモノを壊しそうだ。
こんな(ブログに書くしかない)自分を思うと、
同期が「午後5時から残業代が付けられない」といいつつも、
誰にも訴えかけていなかったのが、実に辛抱強かったように思う。
「社会に出る」とは、やっぱりこういったことの積み重ねなんだろうか。
社会人たるもの、誰も口に出して言わないだけなんだろうか。
絶対、自分がホームシックになることなんか、ない。
現にそう信じていた。5月2日までは・・・
5月3・4・5日と自分が向かった先は、地元“浦安”。
そう、自分の生まれ育った場所だ。
正直なとこ、浦安は落ち着かない。
住宅もきれいに区画されていて、外部の人の干渉を許さない。
“ごちゃごちゃ感”では、今、仕事で住んでいる大阪の方が落ち着くのかもしれない。
でも、そんな落ち着かない街の中で
自分を落ち着かせてくれるもの・・・といえば、やはり“地元の友人”だろう。
「浦安」という場所に帰っているのではなく、そこにいる人、想い出に帰っているのだ。
実際のところ、自分が帰った「浦安」は桃源郷といってもいいかもしれない。
常に自分のそばには話してくれる“家族”がいて、“友人”もいてくれる。
そんな深い、人生についてエグるような話をしているわけでなくても、
ただバカ話をしている、ただその中にいる・・・だけでも
自分にとっては十分、幸せなのだ。
正直、ふるさと人事(初任地は自分の地元に配属されること)の同期や
「転勤」とはいってもその気になれば地元に1~2時間で帰れる同期を
羨ましく思うときがある。
ただ、そんなことを言っていても仕方がない。
今日からは再び“アウェイ”の大阪へ。
“アウェイ”・・・「孤立無援」とまでは言わないけど、自分を知る同朋はほとんどいない。
自分の勤め先である金融機関で働く人々≒「転勤族」。
その名のごとく、「転勤」するからには給料も一般の企業よりはいいかもしれない。
ただ、その将来の“見えない”お金と引替えに、“今”という大きな余裕を見失っている。
次、この浦安に帰ってくるときまで“自分”が潰れてなければいいけど・・・
ここ1週間で大学2年ぐらいから使っていたケータイが壊れかけ始めた。
先週の土曜からボタンの塗装がはがれ始めてきたと思ったら、
今週の月曜には後ろの回し留め具がふっとんだ。
たぶん、あともう1週間もすれば上部と下部とがセパレートするのかな。
どんなに完璧だと思っていたものでも、どこか一つ調子が狂えば、
すべてが崩れていく・・・
それは自分の身体だって同じだし、精神だって同じ。
潰瘍だって、食欲不振だって、焦燥感だって同じ。
焦らず、慌てず、先を見据えて。
今までなら絶対この人と会うことはなかっただろうな。
社会人になってから、そう思う人と巡り合うことが多い。
「刺激が足りない」「刺激が足りない」とは口癖のように言う人は
いるけれど、なんだかんだで刺激は多い。
なんでこんなこと今までなかったんだろ。
学生時代って一体何してたんだろ?
そう思う機会が多い。
これも何かの縁なのだろうか。
身で感じる全てのことが何らかのかたちで自分の原動力になっている。
とにかく今は突っ走るしかない。
羽目を外さない程度に。
でも、将来を信じて、ゆっくり、着実に。。