最近、親戚の結婚式で神戸まで行った帰り「神戸まつり」を参観。
話はこの「神戸まつり」ではなく、近くにあった「播磨屋ステーション」というお店。
「どうやら無料でおかきが食べられて、しかもコーヒーがお代わり自由の喫茶店があるらしい」。
そんな話を家族から聞きつけて、この「播磨屋ステーション」へ。
動機は、もちろん自分の「タダ」心に火を点けさせたから。
無料で経営が成り立つの?という点については、気に入った人には出口で購入してもらうシステム。
店内でおかきを食べながら出口を見ていた限り、実際に買っていく人はそれなりにいる模様。
「ここのお店、心斎橋や霞が関、銀座にもあるみたいだね。」と隣の席のおばちゃん達の話。
「そりゃそうよ。特に心斎橋や霞が関といったビジネス街に(この無料ステーションが)置いてあるのが絶妙よね。」
「銀座って場所もプライドが高い人が多くて『タダで食べておいて悪いな』って心をくすぐるところが絶妙よね。」
「反対にナンバなんて置いたら大変なことになりそうよね。袋に詰めて持って帰っていく人もいたりして。」
・・・なんか、妙に当たっているかもしれない。
それにしても、テレビや新聞、チラシなどの従来の広告方法に拠ることなく、「食べるものも飲むものも無料」にして知名度を上げるという独特の戦略はなかなか面白いように思えた。
様々な場所にビジネスの機会が転がっている・・・そう思わせる1コマでした。
スポンサーサイト
「つい最近(1週間くらい前?)、ブログ更新したよな」なんて思ってたら、ひとつ前の更新履歴が「5月6日」。
え?もう17日前!?
こんな感じで日々過ごしてて本当にいいの?
というのが最近の悩み。
新年度も迎え、みんな新しいことに打ち込んでいるだろうに、自分は何してたんだろ?
そんな感じ。
このまま年をとって、30にでもなったら・・・
・・・幸せになってるかな。
(テキト―)
このGW、地元に帰ってみて多くの旧友に出会った。その中の旧友の一人(高校卒業以来6年ぶりに再会)から聞いた衝撃の言葉。
旧友「大阪って…何ていうか、差別とか部落とか感じない?」
その旧友曰く、本人も高校まではそういった「差別」の問題は意識することがなかったものの、名古屋の大学に行ってその土地で「差別」について意識し始めたとのこと。そしてたまに関東に帰る実家の祖父にこの問題について尋ねてみたところ、関東でもこの問題があるという。話は、高校の時の同期の話まで及んだ。
旧友「あのA君、名前の付け方からして韓国人なんじゃない?」
そのA君の名前については意識したことはなかったが、一瞬にして今までとは違う雰囲気に包みこまれた。
石部「そんな差別されるような名前だったら親が付けないんじゃない。」
旧友「だから、親が韓国の人だからあまり使わない漢字を使っているんだよ。」
私も返す言葉がない。ただ、親が付けた名前のどこに「差別」をする、そして「差別」を許す根拠があるというのだろうか。いつもならここで「そんなこといいじゃん。関係ないじゃん。」と言っていただろう。
話は逸れるが、先日、機会があって大阪の芦原橋にある人権博物館に行ってきたのを思い出す。そこではボランティアの方々が丁寧に案内をしてくださるのだが、私が熱心に展示物を見ていると、こんなアドバイスをしてもらった。
ボランティアの方「もしあなたが差別を受けている人から差別のことについて相談を受けたと考えてみて。その時、被差別の人々にとって『関係ない』と言われることこそ最も苦痛なことだ。『関係ない』、つまり無関心を装うこと自体が「差別」の存在自体を忌避し、被差別を受けている方々の理解をその段階で遮絶してしまうからだ。」
「関係ないじゃん」。実際、私自身、「差別」に対して決して無関心なわけではなく、励ましの意味で用いることがあるかもしれない。しかし、差別を受けている人々からすれば、「差別」を触れてはいけないこととされ、闇に葬り去られることこそ問題なのだ。正直、私自身は、この言葉の意味をどこまで理解できているかの自信はない。ただ、その言葉を聞いて以来、差別や部落の問題については、もっと実態を知るべきだとの立場でいたいと考えている。たとえ仮に「興味本位でそんなことするな。」という人がいたとしても、「無関心でいることで差別を助長することはしたくない。」と言い返すぐらいの姿勢は維持したい、そう考えている。とすれば、「差別」の問題を考える際に、より深掘りし、実態をありのままに把握するために「知る」ことも大切ということになる。
ただ…
旧友「石部は大阪のどこが被差別を受けている部落か知っている?」
石部「うーん…、まあ、それはね…。」
以前、小学校での人権の授業中、生徒から上と同じ質問が受けた先生が「それを答えることは差別をすることに繋がるから答えることはできません。」と言っていたことを思い出す。そのあと、生徒たちとの議論の中で、若い世代の人たちが誰も「どこが被差別部落か」を知らなくなることで真に「差別」はなくなることになる…そんな結論に収まったような気がする。今思い起こせば、これこそ「無関心」であったのかもしれない。
本来であれば、上の旧友からの質問に対し、どんな「差別」の実態があるのかを「知って」もらうためにも、自分が聞いた被差別部落について答えるべきだったのかもしれない。ただ、どうしてもその旧友の真意を窺うことができず、答えることはできなかった。あのときの「無関心」と同じだ。本当に自分ができる役割とは何なのか。少し自己嫌悪にも陥るが、少なくとも自分自身は「差別」に対して関心を持ち続ける存在でありたい。
『Hey!Say!』 2007年オリコン第28位
歌手:Hey!Say!7
作詞:Erykah
作曲:BOUNCEBACK
GWの帰り、久しぶりに夜行バスの中でアイポッドで最近の流行歌を聞きながら帰ってました。そんな中、とある曲で気になった歌詞がありました。(この曲の内容自体に深いこだわり、思い入れはありません)
「僕らは平成Only!
昭和でShowは無理! あっちもこっちもいいね! Hey-Sayはいいね!
こんな時代でSorry! でもDon't worry!
未来にきっと 夢があるから さあさみんなでついてこい!
Wow!」
Hey!Say!7というグループが歌う『Hey!Say!』の割と最初の方の歌詞です。
注目してもらいたいのは、赤字の箇所。
さらっと「昭和は無理」と流していますが、よくよく考えてみれば、これって昭和生まれの人々にとっては恐怖じゃないでしょうか。今までは“昭和生まれ”の人々が世代の中心にありましたが、これからは“平成生まれ”の人々が社会で台頭してくることは間違いありません。気づけば平成が始まったのは1989年ですから、2010年の現在では“平成生まれ”の最も早い人々は「21歳」になっています。あと1年もすれば大卒・新卒扱いの社会人が本格的に出てくることになります。ちょうど私が今春、2011年度新卒者の採用活動をするにあたり、履歴書上に「H」の文字が出てきたのを目の当たりにしたことでも実感しました。
同時に、今年の採用活動から「今年度採用からゆとり世代が入ってくるよ」「円周率3で計算していた世代だよね」という声を聞くようにもなりました。“昭和生まれ”の人から見る“平成生まれ”の人への一種の抵抗かもしれません。ただ、これからの世は“平成生まれ”の人々は確実に増えていく一方で、“平成生まれ”の人だけに起こる特異な感染症でも起こらない限り、減ることは決してありません。こんな些細な抵抗も時代の波の中であっという間に飲みこまれていってしまうことでしょう。これってちょっと恐怖じゃありませんか。
思い起こせば“昭和生まれ”の私が、ここ最近(「H」の初めの方)履歴書の生年月日欄を見て「まだ履歴書上に「M」の文字ってあったんだ」という感覚を持ったことがあったのと同じく、ゆくゆくは“平成生まれ”の人々が「まだ履歴書に「S」の文字があったんだ」という感覚を持つ時代になっていくのでしょう。
最近、県民性についての話題が沸騰しているように、レッテル貼りが好きな国民性からすると、何県生まれだとかいう“地域性”の他に“時代性”(“平成生まれ”ではなく“昭和生まれ”であること)もレッテル貼りの対象になるかもしれません。「アラサー」「アラフォー」という言葉が流行っているように、ゆくゆく訪れる婚活時代では“昭和生まれ”であることが本人の魅力の有無に関係なく絶対的に不利な条件となっているかもしれません。この“時代性”については長く続いた昭和時代の中にあっては特に問題となることはありませんでした。でも、これからは少なからず“平成生まれ”の人々の中から偏見的・差別的な眼差しで見られていく…のかもしれません。
曲の内容については全く触れませんでしたが、夜行バスでこの歌詞を聞いたとき、こんなことをふと思いました。
このGW、長野県の諏訪地方で行われている『御柱祭(おんばしらさい)』に行ってきました。
『御柱祭』というのは、
「御柱(おんばしら、みはしら)または御柱祭(-さい、-まつり)とは
長野県諏訪地方で行われる祭である。諏訪大社における最大の行事である。正式には「式年造営御柱大祭」といい、寅と申の年に行なわれる式年祭である。また、長野県指定無形民俗文化財である。正確には満6年間隔で行われる「6年に一度」なのだが、慣例として数え年の7年目ごとという意味で「7年に一度」と表記されることが多い。最近は「7年目」もしくは「数えで7年」という表記に変わりつつある。
大きくは「山出し」と「里曳き」にわかれそれぞれ4月と5月に、そして
下社は上社の一週後に行われる。諏訪地方あげての一大行事である。」(wikipedia「御柱祭」の記事(2010年5月5日時点)より引用。
というものだそうです。
起源は昔の神道の伝説(神話)に由来する祭りらしく、代々「五穀豊穣」を願う祭りとして行われてきたそうです。
今回、私が訪れたのは説明文中の「山出し」「里曳き」・「上社」「下社」とあるうちの「里曳き」・「上社」の方で、諏訪の街中を氏子と呼ばれる人々が、ご神木(御柱のことですが、便宜上こう呼びます)を曳いて駆け抜けるというところを見学してきました。
感想としては「
一つの祭りでこれだけ多くの人が集まるなんて凄いな」という点と、「
こんな祭りがあって地縁を深められれば、地元に住む人は転勤したくないだろな」という点です。
今回は、長野に親戚のご家族がいる職場の同期の誘いで御柱祭に参加させてもらったのですが、「地縁を深められれば」といった私自身も、同期の「親戚の知り合い」の家で大人数の中(まさに大宴会ともいえる雰囲気の中)、食事をいただきました。ストレートな言い方をすれば私は「見ず知らずの人」であったにも関わらず、そんな自分をも丸めこんで、みんなで祭りを祝おうとするところに祭りのダイナミズムさを感じました。
一眼レフのデジカメで写真を撮ってきたのですが、また機会があったらアップしたいと思います。
では。
[2010年05月05日12時51分27秒記す]
[以下、2010年05月05日15時40分03秒追掲]

【交代】

【一芸披露】