今さらですが、先週の7月17日(日)、
岡山の佐用町(夏に大量のひまわりが咲いていることで有名)
に行ってきました。
目的は、ひまわり撮影。知り合いの専門のカメラマンに同行。
小学校のときの「生活」(?)で栽培した記憶もあり、
「ありふれた」花のイメージが強かった「ひまわり」。
あまりマジマジと「ひまわり」を観たことがなかったけど、
よくよく観てみると、とても「元気な花」だなという印象。
その日は空も晴れており、絶好の撮影日和。
きっと良い写真が撮れただろうという手応え。
(未だ写真は見てないけど)
知り合いのカメラマンは「ひまわりがたくさんこっち
向いて咲いていると、人のように見えてきて不気味」と
言っていた。確かにそう見えなくもないかも。。
今度、自分がこのひまわり畑に来るときには
子ども達を連れて「おまえも元気に育ってこのひまわりよりも
大きくなるんだぞ」というのが夢かな。。
(…まぁ、大半のひまわりが自分の背より高かったけど。)
今さらですが、先週の7月16日(土)、京都の祇園祭に行ってきました。
特に書くことはないんですが、「とにかく人が多い」というのが第一印象。
四条通りの烏丸付近にある最大の鉾を写真に収めようとするも、
人波にさらわれて撮れないこと、撮れないこと。
しかも、後になってから気づいたことに
持参したデジカメにメモリーカードが入っていなかったらしく、
一枚も写真が撮れていなかった不始末。
結局、「猛暑」と京都盆地のムシムシした「多湿」と「人波」のなか、
これが(「車酔い」や「船酔い」ならぬ)「人酔い」かという
今までにない貴重な経験をしたのがその日の収穫。
写真というカタチには収められなかったけど、
今では話のタネにできているので、まあ、いいかな。。。
今回は一人で出向いて災難に遭ったので、
次回は知識人か地元人を連れて再チャレンジしたいと思います。
気づいたら、今日も一日が過ぎ去ろうとしている。
社会人は一日が過ぎるのが早い。
最近、そんな中でふと思うことがある。
一日一日が過ぎ去っていくことで
遠ざかっていくものが「夢」ではないか、と。
学生のころはある程度働いて資金が貯まったら、
転職して起業してみようかな…。
具体的な方法なんて見当たらないけど、
漠然とこんなことを思っていた。
あの頃は、少し余裕だったのかもしれない。
今、どれだけの同世代、同年齢の人が、
資金を貯めているのだろう?
そして何か事業とかを起こして
次々とチャレンジしていっているのだろうか。
もしかしたら、もうすぐ働かなくても
食べていけるだけのお金を集めた人もいるかもしれない。
10年前までは差が大きかれ小さかれ、
みんな同じくらいのスタートラインに立っていたはずなのに。
ときどき、齷齪と仕事をし、時間を潰しながら
過ごしている自分を遠目で見ると、
侘びしく思えてくることがある。
なぜ侘びしいか?
境遇の違う他人と比べるからか?
少なくとも「幸福感」というものは他人と比較している限りは、
根本的なものは得られないような気がする。
「あの人と比べればマシ」という感情は、
意識すればするほど、その逆のベクトルを見てしまったり、
違う方向のベクトルが突き刺さっていることに
気が付いたりして、結局は確たるものを築くことができない。
要は「幸せ」とは「心の持ちよう次第」と、
随分遠い昔にはぐらかされた記憶がある。
…けど、なんとなくわかってきた気がする。
わかった気がして気持ち良くなった内に寝てしまおう…ZZZ