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第二十三話 呪いの壺 

評価:AA-

 一言で、テレビにしてこれほどの映画テイストは反則です。
 
 兎に角一旦通して見てみたのですが、一回目は人物関係とか把握できずに過ぎていったこともあり、あまり良く分かりませんでした。
 んでもって2,3回繰り返して見てみることにしたのですが(子ども向け番組で此処までするか!といった感じですが)、実に味わいがありますね。本当に大の大人(?)が大の声を挙げて言うべきことではありませんが。「市井のオヤジ」と「おとっつあん」の辺りからこんがらがってしまいました(如何考えても『市井商会』の「市井」は「シセイ」と読むでしょうが!)。

 話は至って単純・・・とまでは言えませんが、簡単に言えばゴーストライターならぬゴーストアーティスト(?)、換言すれば陶芸代作家に纏わる葛藤を描いた作品です。
 立派な壺を次々と世に作出しているにも関わらず、名を残さぬ内に消えていく親父。その数々の作品は唐代のものと見紛う程の精巧さであるのに、誰も親父の存在に気付く気配すらない。そしてそれを悲しみ、本家たる市井商会を怨んだが故の反抗。それどころか、単に「唐代に作られた立派な作品」という理由だけで、選りによって真に芸術を理解できないでいる成金(金持ち)達に亙っていくことが蔓延っている芸術界に対する不満。そんなレベルの低い人達がいるから親父の作品が未だ見破られないでいるんだ――― 一人の男の中で様々な思いが交錯している状況を描くことによって、世に潜む歪みみたいなものを見事に曝け出しています。今まで実際にも、こと芸術界にあっては似たような状況(「縁の下の力持ち」)が少なからず起こっていたのではないでしょうか?
 そういった所謂犯行の動機,背景の深さといった内容も然ることながら、その他の特撮や“間”の置き方等も目を瞠る点が多々あります。ゆっくりと、しかしはっきりと発せられる京都弁はその美しさ(笑)を存分に出し切っていたろうと思います。加えて自分としては一寸煩わしいかもとは思ったものの、病気持ちのトーゾーが頻りに咳いている様子も(あんなうまいタイミングで咳くものか!)なかなか味が出ていて良かったのではないでしょうか。病気持ちであったことが自分の死に繋がったという点においては、何か『荒野の決闘』のドクを彷彿とさせられるところがあります。
 あ,そうそう、牧さんが机に足をぶつけて立ち上がったシーン。あそこが私のチョッとしたお気に入りです。張り詰めた空気の中、あのような日常何処でも起こり得そうなことを敢えて取り入れることによって、場を和ませたことは特筆に値します(まあ本来、特に筆する程のことではないのでしょうが)。
 
 軈て、何やかやがあって、トーゾ―は古寺(妙顕寺)に火を放って自殺します(早すぎた構成要件の実現?)。「この寺は本モンか偽モンか・・・」と言いながら放火したのも、これまた『金閣寺』を思い起こさせられるかのような感じです。尤も、トーゾーの場合は寺の美しさに魅せられたというよりも、古けりゃ何でも良いというような風潮が流れている芸術界に対するある種の反発を示したものだったように思われますが・・・。
 そして息子の死後、旧日本軍施設で犯行に使われたリュート(?)物質を目の当たりにしたオヤジは何を思ったか、一目散にその場を離れ「チクショー!」と叫びながら自らが拵えた壺を次々と壊し捲っていきます。それは息子を喪ったことへのショックからだったのか?犯行がバレて市井商会に申し訳ないという気持ちからか?これ以上自分の作品を世に送り出すことができないからか?はたまた今まで自分の名が埋もれてきたことに対する鬱積からか?―――考えれば考えるほど味のある締め括り方です。最後に、終わりのエンディング曲が流れる場面,別にオヤジの頭の中を再現したものじゃーないでしょうが、今回はやけに落ち着いています。此処らへんにも、何だか今まで通りの単なるテレビ作品ではなく、それとはまた別の映画的な作品であったことが見て取れるような気がします。
 なお、今回は一寸作品が日常やテレビから乖離し過ぎてしまった感があるので、評価は分かれるでしょうが「-」を付けさせてもらいます。
 (2006年07月17日05時35分47秒記す)
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[2006/07/17 05:35] 怪奇大作戦 | TB(0) | CM(0)

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