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第二十四話 狂鬼人間 

評価:A+

 暗い夜道、カップルが線路沿いを歩いていると白いネグリジェの女がやって来て・・・

 ブスリ

 しかも今回は何だか返り血を見て笑っているではないか!これは何だか今まで見てきた殺人犯とは毛色が違うようだ・・・。

 いきなり映るは精神病院。そこに町田警部と牧が張り込む。・・・ってか、町田警部に一言物申す!そんなとこにタバコ捨てちゃダメでしょ! 
 そして牧が「マッチ一本火事の元」・・・って牧さん、貴方も同罪でしょ!多分『24年目の復讐』で歩きタバコしてましたよね?アレどうしたんですか!アレ!!
 「う~む・・・」と町田警部。・・・って柱にタバコ押し付けるのもダメでしょ!すっかり痕(?)が残っちゃってるじゃないですか!とても子ども向け番組だとは思えない。・・・と言うより、今からしてみれば男性陣5人とも全員が(尤もさー坊は未成年という設定だから、ソコまではいかないか)タバコ吸っているというのは一寸奇妙・・・と言うより異常に思えます。しかも毎回欠かさず吸ってましたもんね。昔は斯くもタバコを吸うのに夢中、或いは流行っていたのでしょうか?

 少しして、女が素知らぬ顔をして病院から出ていきます。それを見て怪訝そうな顔をする町田警部と牧。そしてその後も何もせずにいる内に次々と精神障害者によって人が殺されていきます。
 
 
 ―――刑法39条 心神喪失者ノ行為ハ之ヲ罰セス
 
 今回は、自らを一時的に精神障害者に仕立てあげた上で殺人を犯すという手法でした。確かに条文をそのまま適用すれば、殺人行為時には責任能力無しというわけですから「無罪」ということになります。
 でも一応、刑法学上はコレ、『原因において自由な行為』理論として解決が可能であるとされています。これの典型的な場合としては、例えば酒を飲んで泥酔すると粗暴になり、人を殺傷することも確実であるという性質が自分にあって、それでも敢えてこれを知りながら人を殺傷する意図で酒を飲んだ場合というのが挙げられます(とっても読み難くてすみません)。先ずこの理論を述べていくに当たって、刑法上何らかの犯罪が成立するためには故意・過失といった主観面と、殺傷行為を行ったという客観面とが、犯罪行為時に同時に存在している場合が通常であるとされています。確かに、この場合も先程と同じく、泥酔状態で殺傷すれば、其の時点では責任能力が無いといのですから、条文通り解決すればこれまた「無罪」となるのが原則です。でもここからがよく考えたもんで、刑法上に言う「責任」とは「最終的な意思決定に対して問われるものである」ということを理由として、最終的な意思決定をしたのは飲酒した時である,したがって殺傷行為を行った以上は「故意」と「行為」が欠けることはないのであるから、この意味では責任を負わせてもよい筈であるという分かったような分からなかったような理屈をこじつけます(詳細を知りたい方は適宜調べて下さい。私の解説はうろ覚えなのでかなり不正確です)。取り敢えず、これが判例法理上確立しているとされています(因みに「判例」は、その判決を下す時々によって無闇に訴訟当事者の取り扱いが異なるということになれば、平等主義に反する結果となりますから、事実上後の判決を下す際の拘束力,影響力があるとされています、多分)。
 じゃ~、この話、現実味がなくて意味無いじゃん。って仰られることかもしれません。まあ実際に、当時も斯様な法理が存在していたか如何かはよく分からないのですが、少なくとも作品中町田警部の話を聞いている限りでは「無罪」との判断が下されたというようなことは語られています。・・・実は、こうなってくると話は違ってきます。と言うのも、刑事訴訟法(刑法を実現するための手続きを定めた法のこと)では裁判官によって判決が下された後は、被告人の不利益に変更することが許されないとされているからです。二度、被告人を不安定な地位に置くのは相当ではないという考え方から。・・・となれば、例えば酒を飲んだ後であれば数時間もすれば元の精神状態に戻ることができるでしょうから、実際に裁判が開始されるまでには責任能力は回復していることになります。しかし、こと今回のような場合にあっては如何でしょう?仮にミカワサエコが脳波変調機を操る際に、裁判の経過を見越して圧力を変えていたとすれば・・・見事、刑法に止まらない刑事訴訟法での潜脱を達し得てしまうわけです(以上、飽くまでも「多分」)。
 
 そんな形式的な面はさておき、何れにしても本作品は果たして責任無能力者に刑罰は問い得ないとすることは妥当であると言えるのか?換言すれば、現行法制を支える根本に対する疑問を投げ掛けるものとして、今日においても大きな意味を含んでいたものであると思います。
 果たして今回におけるミカワサエコのような場合であっても、責任は問い得ない、とすることが妥当なのだろうか?引いては、そのミカワサエコに犯罪を思いつかせる原因ともなった現行の責任無能力者に一切の責任を問い得ないとする法制が妥当なのか?幾ら法律上の理論を穿り振り回そうとも、若し自分が遺族の立場に立ったなら「死刑にしてほしい」というのが切実な思いだろうと思います。言わば遺族は今の制度上では正に「泣き寝入り」するしか取るべき方法がないのです。
 そして、肝心の責任無能力者に対する処遇についてはどうか?今でこそ従来のあり方を多少見直す動きが出ているとはいえ、実際の措置入院では、費用はかかるし、常に飽和状態だし・・・で、入院しても直ぐに市中に繰り出されてしまうということについては変わりありません。作品中でも「精神異常者が野放しにされている」との的矢所長の指摘がありますが、「野放し」という表現が適切であったかは別としても、少なくともその言わんとしていること自体は的を射ており、しかも今の世でも依然として改善されていない問題なのです。

 因みに、今回のミカワサエコは少なくとも3人の行った殺人行為に教唆または幇助していると考えられますから、まず死刑は免れなかったというのが本来でしょう。でも、そのミカワサエコでさえも現行法によれば罰せられない、ということにはなってしまうのですが。。。
 (2006年07月26日01時42分14秒記す,2006年12月01日02時09分45秒補訂)
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[2006/07/26 01:42] 怪奇大作戦 | TB(0) | CM(0)

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