(c)1966 大映(現・角川ヘラルド映画) 84分20秒
評価:B すみません。コレ見る前まで『大魔
人』だと勘違いしてました。やたらと劇中で「○○○○か!!」と言わせんばかりに「神」,「神」と連呼してましたが、こういうわけだったんですね。
話の内容は典型的な勧善懲悪モノです。しかも完全なる日本の時代劇的な。「『日本文化』を代表する特撮映画は?」と問われれば、真っ先にコレを挙げることができるでしょう。
時は戦国時代、所謂「下剋上」の脅威が世を席捲していた当時、家老たる身分の左馬之助が城主に対して謀反を起こすことから始まります。ただ、この左馬之助,謀反を起こしてはみたものの、その治政はと言えば余りに傍若無人。当時としてはこのような状況も左馬之助が例外ではなかったのでしょうか。今からすれば「戦国時代」と言えば壮大な権力闘争という上での戦国武将同士のイメージが付き纏いますが、その歴史にも現れず埋もれてしまった下層部では、見るに耐えない凄惨さが存在していたことは忘れてはならないと思います。「戦国時代」と雖も、飽くまでも「封建」的な時代だったのですから・・・。しかも当時には大魔神なんて居なかったわけです(それは専ら心の中だけでの存在だったのでしょう)。
んで、擦った揉んだがあって殺された城主の子供である忠文・小笹と家臣の小源太らが、依然苛政を曳いている左馬之助を討とうと立ち上がります。
・・・でも、やっぱりダメ。案の定、小源太はいとも簡単に捕まり、彼を助けに行こうとした忠文もまた捕らえられてしまいます。
これと同時に、山の魔神像が村人の支えにもなっていることに着目した左馬之助は目障りということもあり、破壊を家臣に命じます。
ところで、この魔神像。正直、初めてみた時は200円切手を思い出しました。結局この魔神像が壊されて山の中から怪獣の如く魔神が登場する・・・と思いきってましたが、実際にはこの魔神像こそが、その魔神でした。
・・・なら、頭のど真ん中に鋼を打ち込まれたのに大丈夫だったんかいな?まあ、魔「神」ですから何でもアリですけど。
鋼を打ち込まれたことや、小笹の涙の祈りも相俟って、魔神が遂に怒り心頭に発して動き出します。
ここで有名(?)な「神」の形相から「魔神」の形相へと変わるシーン。・・・コレってアリかいな?ちょっとずるいぞ。
そして、左馬之助の砦まで飛んできて只管大暴れ。仕舞いには左馬之助も磔,釘刺にされてしまいます。・・・何か妙にキリストっぽい死に方でしたが。
コレでめでたし、めでたし・・・かと思ったら村人まで飛ばし始めます。本当にまるで容赦ない。ここら辺は所謂「ヒーロー」とは大魔神が根本的に異なるところです。まあそれでも、小笹の健闘により何とか無事終了。
一言で、この特撮技術は「凄い」です。今から40年前に作成されたとは言え、現在と比べても全く支障は無いと思います。
ただ、やっぱりジャンルがどちらかと言えば「時代劇」ということもあり、今に引き直してみると如何しても評価し難いです。特撮技術の精巧さ等然々についても全くのド素人なので、も少し他の作品を見てみないと分からないなーと言うのが本心です。ですので、取り敢えずは「B」。以後、機会があったら上げ下げしていこうかなと思います。
(2006年10月27日00時48分31秒記す)
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