(c)1966 大映(現・角川ヘラルド映画) 87分51秒
評価:B やっぱり序でなんで見てしまいました。期限もそろそろ迫っていましたし、3部作の中で2作だけしか見ないというのも気持ち悪かったので。
さて、今回は開始早々いきなり大魔神らしきものが登場します。「おっ!今までもったいぶって登場させていたくせに、もう登場かー」と思ってましたが、「自然災害は神の仕業によると考えられていた」云々というナレーションで終了。やっぱり、そうか・・・。
んで、本作の物語は4人の子ども達が主体となって隣国(?)の地獄谷にひっ捕らえられた村人達に「魔神山を登れ」とのメッセージを伝えにいくというものです。よくよく考えてみれば、それだけのことならひっ捕らえられた村人達も直ぐ気付くだろうし、第一そんなこともできない状況下にある筈なのですが、流石子ども達を主体としただけの思いつきではあります。若し大魔神がいなかったら4人とも犬死だったな、こりゃ(汗)。
今回の深みは、金太が途中で遭難したことにより、そう一筋縄ではいかないものなのだな,ということが感じられたこと。まさか子どもが犠牲になるなんて・・・。ココらへん、現実味を帯びさせるという点では多少残酷であったかもしれませんが、評価し得ると思います。でも、杉坊のあの怪力だったら金太をも少し止めておくことも可能だったような気もしますが・・・。
何だかんだで、結局大魔神登場までの犠牲者は実質的に2人。まあ数だけの問題でもないですが、余り危機感や切迫感といったものがなかったように思います。現にアレぐらいの事だったら“見えない”歴史の上ではそう少なくなかったでしょうし。そういう点からすれば、今回はそこまで「スカッ」とはいくものではありませんでした。でも、4人の子どもの内1人が犠牲になるという点や、大作の親父が殺されるなど深刻さを帯びていた分、単純なハッピーエンドにはならなくて私的には好かったかな、と。後は最後の大魔神が去る部分で、大作が手を合わせずに「どうしてオラの父ちゃんは助けてくれなかったの?」と大魔神に問い質すようなシーンがあれば(難しいでしょうが)、もう完璧です。
最後に、今回は大魔神が悪人を成敗する際に無闇に必殺技を使わず只管破壊するのに徹した点は良かったと思います。それだけに恐怖感も増しましたし、「ズシン,ズシン」と迫ってきて悪者を摘まみあげる場面も原点に戻っていて迫力満点でした。まあ、最後の剣を抜き出すシーンまではやり過ぎでしたが(--;。
各サイトを見て回ると近日この『大魔神』シリーズがリバイバルするのではないかとの話が結構あるのですが、実際のところどうなんでしょう?下手に拙い現代映画(現代映画が拙いという意ではありません)と化すくらいだったらリバイバルしない方が私的には良いと思うのですが・・・。
(2006年11月03日22時36分20秒記す)
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