評価:A+ 数々の特許を有し、田園調布に住まうという何不自由ない老後の生活・・・
今回は、このようなある種理想的とも思える老後のイメージに対し、楔を差すかのような意味合いを持った内容となっています。
親ならば、必ず避けては通れないのが子の独立。
老人は老人の世界、僕たちは僕たちの世界さ―――
老人を捨てた子供,そしてこの様な言葉に形式的にでも当て嵌まる者を次々と狙っていく殺人人形!!
三沢も、とある“老人を捨てた”子に見間違えられ、そのターゲットとして2度(3度?)も狙われます。
始めの内こそ(特に前半部)、何が何だかさっぱり分からない(「謎」という意味で)ストーリー展開でしたが、最後の場面も視野に入れて考えてみると、何故あの人形が動いていたかが漸く理解することができたような気がします。(殺人を犯す際に一々顔が青くなったのは「あれ」が乗り移った為でしょうか)
裏を返せば、それほどまでに練り上げられた作品といっても過言ではないでしょう。
特に、段々三沢を殺人犯として陥れる為の外堀を埋めていくかの如く発生していく数々の事件を通して、町田警部との間の関係が次第に険悪になっていく過程が直接的にではないにしろ、上手く描かれているなと思われます。例えば、三沢への扱い方が「参考人だよ」から「任意同行だよ」に変わっていたり,何処か町田警部の態度がぞんざいなものとなっていたり…
周りは周りで、スケさんを庇う為に反発的な態度を示してみたり…特に、三沢からの電話に対して、警部に悟られないよう上手く切り交わした小川秘書の対応の仕方。流石は秘書!
・・・ってバレバレですやん!(笑)お蔭で的場所長とのやりとり、全然聞いてなかった。。。 然し、今回の話は今日の社会にも通ずるところがあるため、特に意味深な内容となりました。当時は高度経済成長に伴う核家族化の進行といった背景等もあるのでしょうが、「こんにちは赤ちゃん」に代表されるように、所謂“ベビーブームの影”の部分をも良く表していたと思います。それが、現代は少子高齢化か・・・
そんな時代背景の中、とある老人が孤独を忘れる為、自分に最も忠実な「あれ」を作り出してはみたものの、結局は「あれ」も子と同じように老人を見捨ててしまう。。。
老人は何に愛情を注いで生きていけば良いのか・・・(勿論、子の独立を見守るのも愛情の故であるが、今回の様に“かわいさ余って憎さ百倍”となったのは、その負の側面が出た最も極端な例であろう)。
それにしても、あの後老人は如何したんでしょうねぇ…。最愛(?)の「あれ」をも失い、子が見るに見かねて一緒に住まったんでしょうか?それとも・・・
かなり古いな~と思いつつもラストの「こんにちは赤ちゃん(だったっけ?)」もなかなか良い味出してました。
全体的に余り現実味がないかも(それ以前にSFでこれを言っちゃ~お仕舞いですが)という点では前作と共通する部分があったかの様に思われますが、何といっても最後まで「怪奇」を貫き通したという面では大きく評価できると思います。それに、社会問題としても現に訴えかけてくるものがありますからね…。
一応、「あれ」も
老人ヲ捨テタ子供達ヲ殺サナキャ―――(大前提)
私ハ大人ヨ 何時マデモ子供扱イサレチャ適ワナイワ ダカラ私モ老人ヲ捨テテ独立スルノ―――(小前提)
ダカラ私モ殺サナキャ―――(結論)
ってな具合に、辛うじて論理的に何言ってるか分かりましたからね。
・・・でも、やっぱり未熟だったじゃん。 最後に野村が一言
「世の中奇妙になるとみんなアレになるんですよ」 ・・・確かに少子高齢化が進む現代では、当時より一層,老人が孤独になる機会が増えたと言えるでしょう。
しかも、ヒト型ロボットの開発がニュースにも上る昨今とあっては、将来的には、その老人の寂しさを紛らわせる為の人形というものも開発される可能性があります。
と言うことは、こういう事態も見越して当時、このような発言がなされたのでしょうか!?
あと半世紀も経てば、やっぱり子供はみんなアレになってしまっているのでしょうか・・・
(2006年03月15日00時40分37秒記す)
スポンサーサイト