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航時機 

 昨日、適正検査の過去問でタイムマシンについて書かれていたので、それについての考察を一寸。(尚、この点に関しては全然調査、見聞きした事がなかったので、以下完全なる独断と偏見,無知からの視点であることをご了承下さい)

 ―――そっか~。
 その題材の中ではタイムマシンで幼児期に戻って、自分を殺害したら、現在の自分はあり得ない。よって、仮に開発されたとしても、それは必ず失敗に終わっている筈なのだ、と。
 確かに言われてみれば、無限に幾重にも重ね交錯し合っている因果の連鎖の中では殺さないまでも、ほんの些細な狂いであっても、現在の世界,そして自分はないと言っても過言ではないことでしょう。
 嘗て、たった一本の電車を逃したことから間に合った場合とそうでない場合とで、天国と地獄の様な違いを同時並行で描くといった映画がありましたが、全ての因果(それも単一なものに止まらず、複数が交錯するもの)の流れを考慮に入れるならば、決してその様な違いが生じ得ないという事は否定できないように思われます。
 考えてみれば「風が吹けば桶屋が儲かる」ではありませんが、朝出掛ける時に朝食を抜いてしまって力が入らず仕事が捗らなかったとか、それがテストであればその合否によって全く違う人生を歩むことになる場合もあるでしょうし、それが就活とかの場合であれば尚更でしょう。
 よく陳腐な作品の中には、ご先祖様に会いに行き自分がその子孫である旨伝え、敬うという場面が描かれていることがありますが、その一時があった事により、どれだけそのズレた時間の因果の中で次の「自分」が生まれてくる可能性があるでしょうか。―――以為らく、皆無に等しいでしょう。
 
 とするならば、一体如何理論構成すれば良いのでしょうか?
 一説には決して地上に降り立つ事はできずに只管に上空から見下ろすしかないだとか、その時分には透明人間になる技術も発達しているであろうから気付かれない形で今でも身近に潜みこんでいるのだとか(抑々完璧に自分の体を透明にしてしまった場合、網膜中の錐体細胞やら桿体細胞やらをも見えなくしてしまうわけですから、当然に自分からも何も見えなくなってしまい、このこと自体が「あり得ない」のですが)言われたりもしますが、果たして其処までして過去に行く意義もあるのでしょうかねぇ…。と思ったりもしてみます。
 
 ならば、その時間軸も一つだけではなく、殺害したら殺害したでその時点からまた新たな歴史,世界がスタートするのだという考え方も成り立ち得るでしょう。然し、この考え方に拠った場合でも、果たして物理的に複数の世界が成立し得るのかという点については甚だ疑問の残るところではありますし,その時点から未来には進む事はできるでしょうが、その時点に至るまでの―――言わば、その殺害した時点に於ける「殺害時から殺害時まで」の過去の自分の経過はどうなるのかといった点では、単にそれを回避するだけの説明に過ぎず、その根本は結局解決できず仕舞いであるといったことが指摘できます。それ以前に、物理を考える上での大原則である「無から有は生まれない」ではありませんが、訪ねられる過去からすれば急に物質が、突然何もないところから発生するわけですから、その前までに維持されていた原子なら原子レベルでの非常に緊密で微妙な均衡・バランスを保っていた秩序が崩れるかもしれないという説明をも克服せねばならないわけです。
 
 ここで私が思う事には、やはり前提としてもSFチックな話が連ねられたことからも関連させられる様に、飽くまでもタイムトラベルといった話も、元々が人間が作り出した「空想」の中だけでの話に過ぎず、「時間は決して操る事ができない」といった暗黙の大前提を欠いた上での議論ではなかったろうかという点です。これに関しては、理論上からも十二分に説明が可能なんだといったことも指摘され得るところではあるでしょうが、裏を返せばやはり理論は理論に過ぎないのであって、其処には決して理論・道徳的観点云々ではなく、現実化できない絶対的な“壁”なるものが存在するのだろうと思います。旧来から語り継がれてきた人類の「夢」の中では最も科学的に説明が可能な様にも思われる内容ではありますが、却ってそのことが人間の「夢見物語」に過ぎないことに気付き難い要因の一つと化していたのではないでしょうか。無論、タイムマシンが今でもSFのカテゴリーに分類されていることは昔からも違わぬ事実ではありますが。
 
―――あ~あ、また夢を限っちまった・・・
 (以上)
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いやはや、なんというか感動しました。適正検査の問題にタイムマシンですか!SF好きとしては嬉しい限り。
昔からSF小説では、「歴史を変えることはできない」という立場と「歴史を変えるとそこから新しい宇宙が分岐する」立場の2つがあったように思います(バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいにその場で消える…ってのはいくらなんでも無いだろ、という立場で)。
歴史を変えることは出来ないというのは、「タイムトラベラーそのものが宇宙の一部だから」という理由。
タイムトラベラーそのものが歴史に織り込み済み、というわけです。まあ夢は無いけど、観光はできますね。だって今までタイムトラベラーの存在がばれてない→ばれないことが保障済みですから。
宇宙が分岐するのも、量子論で多世界解釈がどうとかこうとかで説明できるとかできないとか。…つまりよくわからないんですが。
ここらへんは最近は物理学者も真面目に考えてる人も居るようです。ワームホールを使えば(少なくとも理論上は)タイムマシンを作れることがわかってからは特に。
まあほんとのところどうなのかは、実際にやってみないとわかりませんね。

[2006/03/28 01:04] ねこ探偵 [ 編集 ]

v-17いや~、折角書いたのにマウスで一クリックして後ろのページに戻ってしまった瞬間に全てが水泡に帰してしまった。。。
 一応、再び書くのは容易ではないので掻い摘んで述べさせてもらいます。
 その出典元ともなった適性試験では、後者の立場については所謂「ゲーデルの議論」として表現されていました。
 確かに後者の立場で説明すれば昔(と言ってもここ数十年の間ですが)から持て囃されていたUFOやエジプトのピラミッド,ナスカの地上絵の謎が整合性を持って説明ができ、正に辻褄が合うというわけなのですが、矢張り「自己殺害」ではありませんが、その様な行為を行う事が必ず失敗に終わるというのはどうもしっくりきませんね…。というのも、普段我々が日常生活を送っている限りで、そのような失敗に終わらせる様な強制力が働いているとは如何しても思えませんし、仮令それが一時点であったとしても、該場所に行き着く事ができないという事は、それ即ちタイムスリップできていないということを意味しているのだと思います。つまり、極端な例になりますが、タイムスリップした場所が、嘗て木の幹があった場所に相当するところであったとした場合、確かに物理的にどうなるかは如何とも言い難いところではありますが、それをも可能ならしまることを以って「タイムスリップできる」というのではないのでしょうか(尤も、将来的にはそのような場所に行き着くと判断された時は、制御装置なりが作動するのでしょうが)。
 して、この様な困難を伴う事からも、嘗ては私自身も前者の立場を支持せんとしていたわけですが、これはこれでまた新たな矛盾が生じてきてしまいます。例えば、自分が自分の誕生する以前に行って、殺害しないまでも誘拐をして、今まで自分が育ってきた場所とは全く異なる土地へと連れて行ったとしましょう。ここで、前者の立場からするならば、そのような事態はあり得ないという事で、発生し得ない或いは必ず失敗に終わるという形で説明されるわけですが、これが不都合であることは、先述の論理の通りです。
 ではこの不都合を回避する為に、果たして前者はこの誘拐時点で新たな世界が進行していくとするのです。然し、これはこれで物理的に説明困難な点が生じてきてしまうのはお分かりになられるでしょう。つまり、その新たな世界に被誘拐者のみならず誘拐犯も居続けるとするならば、その誘拐犯についての存在が危ぶまれるということです。具体的には、その新たな世界での誘拐犯の,その大半が蛋白質で組成されている人間の物質的な側面からしてみても物理的にどのように発生したのかの経緯を説明をするのは困難でしょうし、そもそもその誘拐犯の生い立ち自体が如何説明されるのかも不明となってしまうわけなのです。―――ここで、誘拐を犯した(というより企てた)時点で、誘拐犯自信が消滅してしまうとするなら、確かに一見すっきり説明できたかの様にも思われますが、矢張り此処でも「消滅する」ということ自体が物理的に困難なのではないかというトートロジーは常に付き纏ってしまいます。
 ただ、ここで一つ留意してもらいたい点としては、今まで私自身,必ず一方向であること、即ち新たな世界がスタートすれば嘗ての旧世界(誘拐犯の生い立ちを説明できる世界)は当然に消失してしまうことを前提として話してきたわけですが、これを新世界も旧世界も両方とも互いに両立し得ると考えるのならば、未だ物理的な説明で困難を伴うものの、一応は誘拐犯の存在については説明し得る余地があるということです。しかし、このように考えてきた場合、愈々事態は複雑な話へと進展してしまいますから、ここいらで差し控えさせて頂きたいと思います。
 要するに、再三再四申し上げてしまって恐縮ですが、今まで私がつらつらと書き連ねてこられたように、飽くまでもやはりタイムマシンというのは、人間の理論の中だけでの話であって、実際にはどうやっても不可能なものであり、SFに分類される所以が此処に見え隠れしているのではないかというのが私なりの持論であります。
 再度の書き直しなので、論理的に不明瞭な点、誤字脱字、構成がおかしい等で見苦しい点は多々あるかとは思いますが、どうぞご了承下さいませ。
[2006/03/28 02:36] 石部 [ 編集 ]

いや、まさかこんな力のこもったコメントいただけるとは思いませんでした。どうもですm(__)m

>普段我々が日常生活を送っている限りで、そのような失敗に終わらせる様な強制力が働いているとは如何しても思えませんし

ということですが、当然そうですね。僕もそうです。
しかし、こう考えてはどうでしょう。時間とは流れるものではなく、ただ「存在する」のだと。
宇宙とは、空間の3次元+時間の1次元方向に広がった彫刻のようなものなのだと。たまたま我々は時間を「流れる」ものだと感じています。しかしもし「未来も過去も覚えている」生物が居たとしたら、まさしく時間はただ「在る」ものなのでしょう。相対論によれば、観測者の立場の違いによって出来事Aと出来事Bが同時かそうでないかは見解が分かれます。これも、彫刻のような宇宙を(ちょうどフランスパンに包丁を入れるように)違った角度で切って見ていると考えると、すっきり説明でき…るそうです。まだここら辺は勉強不足(汗)
まあフランスパンで理解する場合、長さ方向を時間、それに直角な方向を空間と考えるといいでしょう(たぶん)。この場合、空間は2次元になります。この宇宙では空間が3次元までしかないからしょうがないですね。時間の分1次元節約です。
観測者の状態によって、フランスパンを切る角度が
異なってきます。そして切って出てきた面が、その観測者にとって「ある時刻の空間」です。つまりこの空間に含まれる出来事は、その観測者にとっては「同時に起こっている」のです。
とにかく、この見解に立てば「自由意志」など幻想に過ぎないのです。たとえ自由意志が認められても、「物理法則を越えて」自由なことが出来るわけではありません。今ここで「全宇宙より巨大なトマトになりたい」と願ったところで、無理です。同じように、歴史に織り込み済みのタイムトラベラーは、歴史を絶対に変えられないのです。タイムトラベラーも、他の物体と同様、原子や素粒子で出来ています。なぜ人間だけ特別なんでしょう?
まあ、納得できないのは当然ですね。僕もやっぱりしっくりきません。


>タイムスリップした場所が、嘗て木の幹があった場所に相当するところであったとした場合、確かに物理的にどうなるかは如何とも言い難いところではありますが

確かに難問ですが…物理の世界では(なんか偉そうですが素人です)「タイムマシン」とは「タイムトラベルを可能にする特殊な時空構造の領域」を指します(と思います)。具体的に考えれば、この矛盾は回避できます。
以下は受け売りで十分理解しているとは言えませんが、一応具体的な方法を挙げてみました(Wikipediaの「タイムマシン」の項を参照しました)。
やはりいちばん有名なのは、「ワームホール」を利用する方法でしょうか。ワームホールとは空間のある2点間をつなぐ近道、「空間に開いた穴」です。まあ「どこでもドア」だと思ってください。ただしこの場合、入り口と出口の間に短い通路があることにします。

さて、ワームホールを用意します。出入り口をAとBとします。
ここで、一つの時計を置きます。この時計はワームホールの通路のまんなかにあり、両方の口から見れるとします。
さて、口Aから見て中の時計が0:00だとして、Aに入って時計を通り過ぎてBから出ます。するとBから見ても時計は0:00です。あたり前ですが、注意してください。

つまりワームホールは
A の 口 と B の 口 の 同 時 刻 を 結 ん で い る
のです。これかなり重要です。

さて、後は光速で飛べるような宇宙船をスタンバイします。これで準備完了。

1.0:00にAはそのままで、Bを宇宙船で引っ張って光速に近い速度で移動させます。
Aの口から望遠鏡で見てみると、宇宙船と一緒に遠ざかってゆくBの口から見える通路の中の時計は、Aを覗いて見える中の時計よりゆっくり進んでいるように見えます。これは相対性理論による効果です。
でもAに入って時計を通り過ぎてBから出て振り返って時計を見ると、Aと同じ時刻です。変ですね。

2.Aから覗いて時計が3:00のとき、(望遠鏡で見た)Bの口から見える時計が2:30になっているとします。

3.Bをまた光速に近い速度で引っ張って、元の場所に戻します。また、(望遠鏡で見た)Bから見える時計はAから覗いた時計よりゆっくり進んでいるように見えます。

4.Aから覗いて時計が6:00のとき、(望遠鏡で見た)Bの口から見える時計が4:00になっているとします。

5.宇宙船に乗って、Aから光速に近い速度でBへ向かいます。Aから覗いた時計は出発の時6:00。このとき所要時間が1時間だったとします。

6.Bについたら口に入って、Aから出てきます。このときBから覗いた時計は5:00。で、時計を通り過ぎてAから覗いてもやっぱり5:00。…あれ?

7.Aを出発したのが6:00なのに5:00に到着しちゃったので、これはタイムマシンです!

…とまあ、理論上タイムマシンは可能みたいです。ただこのマシンの欠点といえば、「タイムマシンが出来る前には行けない」事でしょう。ワームホールを動かすより前の時点は、タイムマシンで行けない領域なのです。考えてみれば当たり前ですが、これで「何かにぶつかる」なんてこともないでしょう。

これで「未来にタイムマシンが出来るなら、なんで未来人が今に来ないんだ」という物理学者スティーブン・ホーキング博士の反論にも答えられるわけですな。
なぜならば「まだタイムマシン作ってないから」。
まあこのマシン、実現はとってもじゃないけど技術的に難しすぎるようで、あと千年は待ってもらわないと…てな状況。でもまあ計算上「出来る」といわれるだけで、やっぱり嬉しいわけですよ、SF好きとしては。


>その新たな世界での誘拐犯の,その大半が蛋白質で組成されている人間の物質的な側面からしてみても物理的にどのように発生したのかの経緯を説明をするのは困難でしょうし、

うーむ、たしかにそうですね。というかそんなことが許されるなら、タイムマシンが出来た時点で、物理学が破綻しちゃうんじゃ?
なぜならば、もうなにが起こるかよくわからん!ってなるから。因果律とか原因と結果なんて存在しなくなってしまいそう。未来から何が来るかなんて予測できるんでしょうか?
まあ説明ができないからといって、なにかが消滅したりはしないでしょうが。結局フランスパンの例で考えれば、宇宙はただ「在る」わけですから。
「原因と結果」というのは、関係しあう出来事のどちらがより過去方向の時点にあるかの違いしかないのです。
ちなみに、この立場は「宇宙が出来る前には何があった?」という質問にも明確に答えられます。答えは「何もなかった」。だって南極点より南に何があるっていうんですか?

幼い自分の誘拐は成功しないでしょうが、もしかしたら誘拐しようとしている自分には会ってるかもしれませんよ。
昔よく遊んでくれたおじさんが実は自分だった、なんてこともあったりしてね♪
[2006/03/28 22:23] ねこ探偵 [ 編集 ]

v-15ふむ、ナルホド。「宇宙が出来る前には何があった?」との問いかけ自体が、所謂別次元の問題であって「前」と「ある」とが抑々噛み合うものではないという事には大変共感を覚えますね。
 ところで、先程のタイムマシンの理論,私自身の素人考えではありますが、
>3.Bをまた光速に近い速度で引っ張って、元の場所に戻します。また、(望遠鏡で見た)Bから見える時計はAから覗いた時計よりゆっくり進んでいるように見えます。
 の段階で疑問あり!
 確かに光速で動かすならば、それに伴い光の届く時間も変わってくるわけですから、口Aから望遠鏡で見たBから見える時計がゆっくり進んでいるように見えるのも合点がいきます。現に、この原理は地球から遥か彼方の惑星を超高倍率望遠鏡で見るときに光の届く時間に差がある事から、地球での“現”時点と比べて数年,数十年前の当惑星の姿が拝める事からも示されていると言えるでしょう(その意味では“現”地球時間での当惑星の存在は超新星を経て既に消滅している可能性も否定し切れませんが)。
 では、果たして3.のようにBを元の場所に戻す場合には、光の届く距離も必然的に縮まってくる事から、この場合には寧ろ逆に時間の進行具合が早まってきてしまうのではないでしょうか。
 ―――と言うより、全く状況把握が出来ていないので実に的外れだとの謗りは免れないでしょうが。
 まぁ、何れにせよ光速で移動できるともなれば、将来的には“不老不死”なんて事も限りなくコレに近い状況も生み出されるかもしれませんね。(尤も、体感している人からしてみれば、実質的に余り変わりはないのかもしれませんが)。

 そっか~。何時も変な事考えてしまってるんですが、若しタイムマシンで人を殺す事ができるとすれば、それは所謂臨終に際してであって、我々の目には見えない内に未来人が魂だけを抜け出すマシンでも拵えて、将来へ攫っていっているのかもしれませんね。さて此処までも考えがぶっ飛んでくると、愈々SFをも逸脱した禁断の「阿呆の世界」へと突入してくるわけですが。。。
[2006/03/29 02:30] 石部 [ 編集 ]

長いコメントすんませんでした(´Д`υ)
読むと長いっすねー。しかも素人なんで信憑性がなんとも…。気になったらちゃんとした本を読んでみるか、ちゃんと知っている人に聞くことをお勧めします。
「時計がゆっくり進む」のは、距離の関係というよりは相対性理論の効果です(偉そうですが素人です)。
まず大前提として、どんな速さで動いている人にとっても、光の速さは常に秒速30万kmで一定です。地球上の人も、スペースシャトルに乗ってすごい速度で地球の周りを回ってる人も光の速さについては意見が一致します。これ重要です。
さてここで、「光時計」を考えてみましょう。これは上と下に離して置かれた鏡を光線が往復するものです。
まあ鏡の距離が3フィートなら、3ナノ秒(10億分の3秒)で鏡から鏡へ光線が進むでしょう。鏡に光線が当たるたびに、時計は「カチ」と時間を刻みます。

それでは、光時計を列車に積んで、その列車が石部氏の前を通り過ぎると想像してみます。石部氏も光時計を持っています。
さあ、列車が走ってきました。ここで、列車の光時計を観察します。光線の軌跡は…あれ、距離が伸びてるような…。
そう、列車と一緒に進む光時計の光線の軌跡は、石部氏から見ると斜め上に飛んで、また斜め下に飛ぶように見えます。結果、石部氏の時計よりも長い距離を光線は進まなくてはなりません。
もしここで列車が光速の80%で進んでいるとして(速!)光線が斜めに進む距離が5フィートと測定できたとします。このとき(鏡の距離が3フィートなので)一回の「カチ」ごとに列車は4フィート進んでいます。
5フィートの距離なら、光線は5ナノ秒かかって到着するはずですね(列車の中を進む光線が石部氏の近くよりも速い、なんてことは無いからです!)。
15ナノ秒観察したとすると、列車の時計は「カチ、カチ、カチ」で3回カウントするはずです。ところが石部氏の時計は、5回カウントします。光線が進む距離が3フィートだからです。
あれれ、同じ時計なのに列車の方が遅くカウントしているように見えるぞ??というわけです。
もちろん、列車から見ても石部氏の時計はゆっくりカウントしているように見えます(石部氏の近くを進む光線が列車の中よりも速い、なんてことは無いからです!)。そして、列車に積んだ時計は15ナノ秒で5回カウントし、石部氏の時計は3回しかカウントしていない、と思うはずです。
こんな状況を実現するためには、道はただひとつ。そう、「石部氏から見て列車の時間はゆっくり進み、列車から見て石部氏の時間はゆっくり進んでいる」のです!この関係が「相対」的なんですね。

奇妙だと思うのは、我々が無意識に何かを「基準」にして、運動を考えてしまうからです。地球は自転し、なおかつ太陽の周りを公転しています。太陽でさえ、銀河系の外側を回っています。銀河系はさらに宇宙の中を運動し…といった具合に、「特別に止まっている点」などといったものはありません。なので等速直線運動する全ての人は、「俺が止まっててお前が動いてるんだ!」と主張して構わないわけです。

さて「等速直線運動する」と書いたのは、加速や減速をしたり、重力がかかったりすると話が別だからです。
この場合、自分が「止まっている」とは思えないでしょう。急発進や急ブレーキの時は力を感じるはずです。また、地球上では常に重力を感じますね。
これは宇宙を等速直線運動していて何の力も感じない人とは、どう見ても違う立場です。
先ほどの列車の例で言えば、石部氏の前を通り過ぎたあと、減速→逆方向に加速→減速で石部氏の前に戻ってこられます。これで時計を比べられますね。結果は…列車の時計のほうが多くカウントしています。加速や減速が加わってしまった時点で、「相対性」が破られたからです。

さて、石部氏と列車をワームホールの口AとBに置き換えると、タイムマシンになります(やっとつながったー)。なんで加速・減速で相対性が破られるのかは、「時空図」を書くとよく分かる…そうで←無責任

また長くなってしまった(´Д`υ)


[2006/03/29 12:12] ねこ探偵 [ 編集 ]

v-292すみません。
 諸事情により最近込み入っていますので、また日を改めてコメントし直したいと思います。
[2006/03/31 01:16] 石部 [ 編集 ]

v-514はい!先生!!
>さあ、列車が走ってきました。ここで、列車の光時計を観察します。光線の軌跡は…あれ、距離が伸びてるような…。
そう、列車と一緒に進む光時計の光線の軌跡は、石部氏から見ると斜め上に飛んで、また斜め下に飛ぶように見えます。結果、石部氏の時計よりも長い距離を光線は進まなくてはなりません。

e-63如何して「列車と一緒に進む光時計の光線の軌跡は、石部氏から見ると斜め上に飛んで、また斜め下に飛ぶように見え」ることによって、オレの「時計よりも長い距離を光線は進まなくてはな」らないとの結論が導かれるのでしょう!?
[2006/04/02 22:05] 石部 [ 編集 ]

えーとそれは、「上下に一往復するごとに」列車の光時計の光線が、石部氏の時計の光線より(石部氏から見て)長い距離を進むように見える、ということです。
列車と一緒に光時計は走っています。で、光時計の上と下の鏡の間を、光線は往復しています。
電車の中でボールを弾ませていると考えても一緒です。電車の中の人から見てボールは天井と床の間を上下に反復運動します。
ですが(電車の壁がもし透明だとして)外からそのボールを見ると、電車の下の地面に対して斜め上に上がって天井にぶつかり、斜め下に下がって床にぶつかるように見えるはずです。
その様子を(長時間の露光で)写真にとって、ボールの軌跡に沿って定規を当てます。例えばボールの軌跡の直線が床に対して45°の角度だったとすると、床と天井を直角に結んだ距離よりも√2倍の距離になりますね。
なので、この場合なら光時計の光子が一往復するごとに、列車の光時計の光線は(石部氏から見て)石部氏の光時計の光線より√2倍の距離を進むように見えます。

[2006/04/04 16:51] ねこ探偵 [ 編集 ]

なんだかなー。

猫探偵の文が長い。タイムマシンはあるわけねー!
[2006/04/04 22:53] 荒野の旅人 [ 編集 ]

v-37お!こんなところにもやはりタイムマシン反対派が!!
 然も実に分かり易い理由付けではありませんか。
これで2対1ですね。
 ところで、矢張り揚げ足取りになるんですが、飽くまでも光時計の光線より√2倍の距離を進むように「見える」のみであって、必ずしも「見える」ことのみで長い距離を進まねばならないとの結論が論理必然的に導かれるものの様には…。
 つまり、単に「見える」との一事だけを以ては必ずしも正確に√2倍の距離を進んでいるとは導かれ得ず、例えば「見える」というだけであるならばその様に斜め方向に進むのも、所謂軌跡,即ち残像に因るものであって、電車内部で等距離を動いているという事とは、猶も関係性が薄いものではなかろうか,ということです。
 尤も、私自身の頭が弱い(=理解力不足)事に関しては重々承知しているところではありますが。
[2006/04/05 01:26] 石部 [ 編集 ]

>>荒野の旅人
長くてごめんOTZ
でもタイムマシンは可能だと思ってるよ。
あくまでも理論上だけど。
>>石部
ちょ、上のカウントされるの!?

むー…そうか、「見えるだけ」だ、と。
その通り。そう「見える」のが重要なんです。
石部氏から見れば電車内の光線が長い距離を進んでいるように「見える」。
そして、石部氏から見て電車内の光線は石部氏の光時計の光線と同じ速度で運動しているように「見え」なければならない。
よって、石部氏からは電車内の時間が石部氏よりもゆっくり進んでいるように「見え」なければならない、というわけです。
石部氏は電車の中の人の気分で考えているのでは。電車の中の人にしてみれば、「見えるだけ」、「残像」だということになるでしょう。
しかし今はあくまで電車の外から電車の中を観察している話なので、上のような主張が通るのです。
どのような「立場」で物事を見るかで、同じ出来事のはずなのに違って見えてくる。ただひとつの「正しい見方」というのは無いように思えます。
[2006/04/09 21:30] ねこ探偵 [ 編集 ]

v-535ん~。分かったような分からなかったような・・・
 つまりは、確かに電車内でボールを落とすという例からしてみれば、光速がそんなレベルで語れるかという話になるのでしょうが、どちらも光速レベルでの土俵であるということを前提にするならば、確かにそのように「見える」ものなのでしょう。
 一応、“わかったつもり”ということにさせてもらいましょう。
 ところで、肝心な話に移ってしまうのですが、理論が云々語られる以前に“実現化”できる可能性は有り得るのでしょうか?光速が然々語っている感じからして、摩擦熱で人,電車,鏡諸共消え去ってしまう様な気がするのですが・・・。
 言うなれば、将棋盤の升目の上に1円を置いて、升目ごとに2倍にしったとします。そしたら何時の間にか月に届く程の距離となってしまったというのと同じ様な話みたいな気がして(わかりにく!)。
[2006/04/10 22:15] 石部 [ 編集 ]

まああくまで「思考実験」ですからね(笑)
確かに光速の80%で電車動かしたら色々大変なことになるし、そもそも光子を「横から観測する」なんてことできんのか?って話です。
私だってこの例で完璧に納得したわけじゃないですし、説得力も不十分極まりないでしょう。でもなんのイメージもわかないよりいいかな?って程度で。
相対性理論をほんとに勉強すれば、心の底から納得できるんでしょうけどね。
[2006/04/17 01:20] ねこ探偵 [ 編集 ]

v-292但し、やっぱり何れにせよ、最大の欠点は「実現可能性に乏しい」ということですね。この一言に尽きます。
 言わずもがなの事を何度も申し上げる形になってしまって恐縮ですが、光速レベルで話す云々より、先ず前提条件から実現させようとするレベルから、ほぼ実現可能性が限りなくゼロに近いという詭弁さを孕んでいるわけです。多分、前提の段階から物理学者からの非難を囂々と浴びるであろうこと必至でしょうね(^^;
[2006/04/17 22:41] 石部 [ 編集 ]

電車の思考実験は無理でも、時間の遅れ効果は実際に測定されている、ということはとりあえず書いときます。
たとえば1971年、物理学者ジョー・ハーフェルとリチャード・キーティングが行った実験では、
東周りに飛ぶ飛行機に積んだ時計は地上に積んだ時計より59ナノ秒ほど遅くなっていたそうです。
これは地上に置かれた時計に対して飛行機が運動していたからで、時間が遅れる値も相対論で予測される値と一致していたそうです。(「時間旅行者のための基礎知識」より)
てなわけで相対論は信用できるとしても、タイムマシンが実現できるかというと…
まあ我々が生きてるうちは無理でしょう。
でもいつか、遥か未来にでもそれが実現される可能性が「ゼロでない」というだけで、やっぱり嬉しいんです。たとえ見れなくてもね。

えーと最後に。私の相対論に関する理解は限りなく浅いです。ていうかよく知りません。なのであまり信用しないように。わからないことがあったら物理学者の人に聞いてみてください。
[2006/04/24 00:36] ねこ探偵 [ 編集 ]

v-482締りが良い終わり方でしたね。まあ若しかしたら「ナノ」とかいう単位ともなってくると、単に時計がズレただけという事態も想定し得ますが、SFは現実と理論が乖離しているからこそSFたる所以が其処に見出せるのでしょうね。
 態々、長々と有難う御座いました。
 
 H.G.ウェルズの~♪見った夢ーは今でも不思議♪
 透明人間にー 宇宙戦争にー 
 ターイム,マシン!!
[2006/04/24 22:34] 石部 [ 編集 ]

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