死刑執行の氏名を公表 法務省方針 被害者感情を重視
11月30日2時0分配信 産経新聞
法務省は29日、死刑を執行した死刑囚の氏名を公表する方針を決めた。死刑執行の公表内容を変更するのに法改正などの手続きは必要なく、次回行う死刑執行時からスタートさせる。同省はこれまで死刑囚の家族らへの配慮などを理由に、死刑執行直後に執行した事実と人数を公表するにとどめ、死刑囚の氏名は公式には明らかにしてこなかった。犯罪被害者の立場を重視すべきだとの世論などに後押しされた形で、死刑執行をめぐる情報公開が大きく前進することになった。
法務省はかつて、死刑を執行した事実すら公表せず、明治33年から毎年発行してきた「矯正統計年報」で、過去1年間に執行された総数や男女別数、執行した拘置所を掲載するだけだった。このため、年報が発行されるまでに執行の事実が判明するのは、報道機関などの独自取材や調査によるケースが多かった。
現在のように執行の事実と人数を公表するようになったのは小渕内閣時代の平成10年11月以降で、死刑制度への国民の理解を得るためには可能な限りの情報の公開が必要だとの判断によるものだった。
刑事訴訟法によると、死刑執行は法相が「死刑執行命令書」に署名押印してから5日以内に行われ、死刑執行は死刑判決の確定から6カ月以内と定められている。
しかし、9~18年の10年間をみると、死刑確定から執行までの期間が平均7年11カ月を要し、法務省によれば、死刑執行を待つ死刑囚は10月末現在で105人いる。刑訴法の規定通りに死刑が執行されない理由について、同省は「再審請求や恩赦の出願を再々行っている者もいて、裁判の執行とはいえ人の生命を絶つきわめて重大な刑罰の執行のため、慎重を期している」としてきた。
また、死刑制度をめぐっては、当時の法相が「思想信条」を理由に命令書への署名を拒否するケースがあったほか、刑法が絞首刑と定めている死刑の方法についての論議もくすぶっている。このため、鳩山邦夫法相が9月に発足させた勉強会で死刑執行のあり方に関して検討を進めていたが、執行された死刑囚の氏名を速やかに公表すべきとの判断に至った。
【※以下本文】
意外とやられているように思えてやられていなかった事実・・・とでも言いましょうか。
世間から見れば「漸く」といった感じでしょう。
確かに、死刑執行直後に死刑囚の名前を公表することで
①死刑囚の家族らに深い動揺、苦痛を与える
②他の死刑執行を待つ者にも動揺をもたらす
といった不可避の問題も生じてくるでしょう。
しかし、では「何故、死刑執行がなされなければならないか」を考えたとき、
やはり、その最大の意とするところは
「社会一般に『死刑』の存在を厳然として知らせ、以後同様の犯罪類型が起こることを抑止する」
ということがあると思います。
ここで、公表方針を決定した目的につき
[1]被害者・遺族感情への配慮
ということの他に
[2]裁判員制度の導入に備える
といったこともあげられています。
そして、[2]の理由については裁判員が死刑言い渡しの是非を判断するにあたり「死刑の実態を知らされないまま、量刑を判断することが、司法の公正性を維持していくうえで弊害にならないか」といった問題を解消することが指摘されています。
すなわち、一定の重大犯罪の量刑判断(有罪とされた場合の刑罰の重さを決める)をも扱う裁判員がこの判断を行なう際、「死刑の実態を知らされないまま」判断をするのは危うい、というわけです。
ここに、裁判員制度導入云々に関わらずとも、現在行なわれている死刑制度の実態が明らかになっている・・・と思います。
つまり、「死刑判決が出た、確定した」までは公表・報道で知ることができますが、それが「いついつ執行された」ということについてはよほど奇異な犯罪でない限り、公表はおろか報道さえなされていないのが実際です。
これらの「実際に執行された」との公表・報道がリアルタイムでなされない限り、「ああ、現実に死刑は行なわれているんだな」と考えるその意識、その機会というものも幾許かは減ってしまっているのではないでしょうか。
引いては、こういった「死刑が実際に行われいる」という意識の希薄さから将来に向けた犯罪の抑止効果についても十全に機能していなかった、という点も挙げられるのではないでしょうか。
これだけでは①②といった問題を説明するには不十分ですが、少なくとも「死刑が執行された意味」を考えた場合の死刑囚が「徒死」する度合いを減らす、といった意味でも[1][2]に加え、効果があるものと感じます。
以上。
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