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第十八話 死者がささやく 

評価:B+

 ある夫婦が旅行中にドザエモン(?)を発見する。やがてその溺死体が処理されたかと思いきや・・・。
 
 今回の演出は、全体を通じてかなり子供にとってトラウマになりそうな仕上がりであった。と言っても、田原が感じた通りのことを表現すれば実際にはあんな感じだったのかもしれない。見えない筈のものが見える・・・。誰しも恐慌状態に陥れば感じる可能性がないとは言い切れないものであろう。途中が飛び飛びで整合性がなかったのも、そう思えばなかなか巧く表現されているとも思える。

 当時のみならず、凡そ40年が経過した現代にあってもなお証拠の真実性を担保し得べき絶対的な信頼が置かれている指紋認証。本作品は、そんな一種科学をかませることによって更に本人を確定するのに唯一性・確実性を保証するのに成功しているかのような指紋制度に疑義を投げかける,という点では大変興味深いものであったと私自身は感じる。絶対的な認証方法であると信じて止まない指紋制度が覆されたとき、人は何を頼りに信じて行けば良いのか・・・。特に刑事事件ともなる重大な犯罪捜査にあっては、一つ間違えるだけでも大惨事を引き起こしかねない。今回のこのようなテーマは、そういった意味である種の絶対的なものに潜む脆さを露呈させたということに意義があったと言って良いだろう。
 それともう一点、本作品では「裏切り」や「嘘」といった点も鏤められていたという事が挙げられよう。先ほどの指紋認証に加え、偽の死者の声(ですよね?),偽の法律上の妻による背信等(中には町田警部が変装していたというシーンもありましたが、それもこの事を示唆するものではなかったでしょうか?)、人は何を基に信頼していけるのかという点について問い掛けられているような気がした。人は他者との信頼の下にこそ、その生活を成り立たせていくことができると言えようが、果たしてその絶対的なものの裏に潜むものとは何か?本当に人は軽々しく他人を信頼しても良いものなのだろうか?―――ある意味,考えただけでもぞっとする。
 最後の田原が死んだ妻を抱き続けたまま歩いていくシーンに至っても、そのような裏切りが妻によって為されたにも関わらず、依然として信じ切れていない,いやそんな事よりも本当に愛していたがための田原の振る舞いであったと見ればなかなか興味深い内容であったと言えるのではないだろうか?

 にしても、終盤のヤスコの新事実が発覚するシーン,どうしてもベタな刑事ドラマを見ているような感じがしてならない。大体鞄からテープだけが外に出るなんて事は考えられないし、第一落ちた拍子にスイッチが入ってしまうなんて到底あり得ない。ならば、最後に自殺し車が止まった拍子に鞄から「死者の囁き」が聞こえてくる。そしてその瞬間、真実を知った田原は愕然とするもなお最後まで妻を連れ添う・・・とした方が意味深だし、タイトルにもマッチしていて好いと思われるのですが・・・。
 再度、最後の田原が死者を抱き上げるというシーン。“死”から隔絶された現代の日本社会に於いては、なかなかこのような機会に出くわすことはありません。故に、ある種異様でインパクトが強く感じられたというのは私だけでしょうか・・・?
 (2006年05月11日17時53分04秒記す)
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[2006/05/11 17:53] 怪奇大作戦 | TB(0) | CM(0)

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